11.3市民国連で話をお伺いするに際し、下記の本を事前にお読みになることを
お薦め致します。

1、日本文明とは何か パクス・ヤポニカの可能性
    山折哲雄/著 角川書店 2004年11月
  書籍紹介:人類の歴史は、常に民族と宗教による対立を孕んできた。さらに
     9・11以後、世界の現体制とこれに反逆するテロ国家という図式が生
      まれた。「文明の衝突」を回避するために、日本の果たし得る役割
     とは何か。その手がかりは平安時代と江戸時代にある。
 
  書籍紹介:人類の歴史は、常に民族と宗教による対立を孕んできた。さらに
     9・11以後、世界の現体制とこれに反逆するテロ国家という図式が生
      まれた。「文明の衝突」を回避するために、日本の果たし得る役割
     とは何か。その手がかりは平安時代と江戸時代にある。世界史上にも
     まれな長い平和期を築いたのは、国家と宗教がかみ合った固有の政治
     システムや、神仏共生にもとづく多元主義、独自の貴族趣味であった。
     日本のあるべき姿を真摯に問い続けてきた著者が、日本で培われた平
     和思想の可能性に迫り、新たな地平を切り拓く刺激的論考。

目次 :「弱い歴史」と「強い歴史、文明の「断層線」
     「自爆テロ」と「文明の衝突」論の行方、文明の「横断線」―「捨身
     飼虎」図の背景「飢餓の世紀」に向けて、究極の環境問題―「飢餓」
     と「肥満」飢餓を回避する第三の選択、「餓鬼」と「食鬼」の思想パ
     クス・ヤポニカの可能性、文明対話の調停者[ほか]

2、近代日本人の美意識 山折哲雄/著 岩波書店 2001年3月
  書籍紹介:近代の日本人の美意識は、どのように生まれ、育まれてきたの
        か。宗教研究を中心に日本人の精神史をさまざまな形で探求し
       続けてきた著者が、該博な知識と独自の問題意識に基づいて考察
       する。宗教観の問題を視野に収めながら、茶道、詩歌、性愛の問
      題など日本人の価値観に密接に関わるテーマを取り上げ、「美」の
      核心に迫る。
   目次 :1 遊びと伝統(「遊び」と「遊びごころ」、茶の湯と死への誘惑 
          芭蕉飛びこむ水の音)       
       2 自然観と表現(虚子が、そこにいる、茂吉の「自然」) 
       3 宗教意識(観音からマリア観音まで、日本人のキリスト教)          
       4 愛と性(長谷川伸の無常愛谷崎潤一郎のセクシュアリティ)

3、「環境と文明ー 新しい世紀のための知的創造」  山折哲雄/編著
   NTT出版 2005年7月

書籍紹介 :国際日本文化研究センターにおいては、2001年度から四年間に
わたる「文明研究」の大型プロジェクトを立ち上げ、国内外の共同研
究会とシンポジウムをつみ重ねてきた。本書は、そのうち特に「環境
と文明」というテーマをめぐって蓄積された研究成果の一端をまとめ
たものである。今にして思うのであるが、われわれもまた世界の文明
的状況と環境の諸相について、さまざまな形でそのエッセンスを凝縮
して示そうと試み、論じてきたようにも思う。
目次 :第1部 環境と 文明―二十一世紀における日本の役割   
(挨拶 日本文明に課せられた宿題     
基調講演 エコ・エコノミー―地球のための経済を構築する     
パネル・ディスカッション エコ・エコノミーがつきつけた問い    
 論文1 内なる環境、未知との共存 ほか)  
 第2部 新しい文明の創造のために
(日本文明における「強い歴史」とは 
―山折哲雄氏の問題提起をめぐって   
「文明の交流史観」はどこへ向かうか 

4、文化力 日本の底力 川勝平太/著 ウェッジ 2006年9月     
問題意識が市民国連とまったく同じです!!






5.日本の文化力が世界を幸せにする 日下公人/呉善花/著
   PHP研究所 2004年12月
  紹介 :日本の独自性の中にこそ、未来性、世界性がある―呉。日本文化の
  精神が産業になり、結果として世界に普及している―日下。「グローバル」
  「韓流」より「和風」。
目次 :第1章 世界が日本の真似をする理由
   (文化水準の高さ自主独立の精神)
    第2章 幸せの先端を行くビジネス
    (成果主義よりプロセス重視顔の見えるモノづくりとサービス)
    第3章 島国コミュニティの多元性
     (島国文化の底力共同体生活の伝統)
    第4章 豊かで平和だから和風が好まれる
   (自然・あるがまま・安らぎ文化の自由度・伝統と革新・自然感応力)

6、 東北アジア共同体への道 現状と課題 松野周治/徐勝/夏剛/編著
   文真堂 2006年3月
書籍紹介:第1回東アジアサミットが開催され、東北アジア共同体形成の重
   要性がますます、現実味を持って語られている。本書は、2ヵ年にわたる
 日中韓の国際共同研究により、日本、中国、韓国、朝鮮(DPRK)、ロシア極
  東を視野に入れ、共同体形成に不可欠な経済、安全保障、文化における協力
 や交流の現状を分析し、その課題を明らかにした力編である。

目次 :東北アジア共同体の歴史的意義と課題
  第1部 経済協力(中国東北地域と朝鮮半島の経済関係の
            現状と展望―中朝経済関係の課題
    中朝国境貿易の現状及び国境地域の社会・経済に対する影響
    積極的に入ってゆく経済協力―南北朝鮮の経済協力を通じた
       北朝鮮の東北アジア経済協力への参加方案
    中国の「経済成長方式転換」と
       ソフトウエア・アウトソーシング―大連の役割 ほか)
  第2部 安全保障と文化交流(東北アジア地域協力と中日韓関係
   「東北アジア共同体」結成の求心力と遠心力
             ―「文化縁・文化溝・文化力」に即した考察
   両岸関係に関するポスト国族主義的思考、「韓流」と東北アジアの政治 ほか)

     まれな長い平和期を築いたのは、国家と宗教がかみ合った固有の政治
     システムや、神仏共生にもとづく多元主義、独自の貴族趣味であった。
     日本のあるべき姿を真摯に問い続けてきた著者が、日本で培われた平
     和思想の可能性に迫り、新たな地平を切り拓く刺激的論考。

目次 :「弱い歴史」と「強い歴史、文明の「断層線」
     「自爆テロ」と「文明の衝突」論の行方、文明の「横断線」―「捨身
     飼虎」図の背景「飢餓の世紀」に向けて、究極の環境問題―「飢餓」
     と「肥満」飢餓を回避する第三の選択、「餓鬼」と「食鬼」の思想パ
     クス・ヤポニカの可能性、文明対話の調停者[ほか]

 山折 哲雄(やまおり てつお) 
http://www.nichibun.ac.jp/research/staff1/yamaori_tetsuo2.html
学歴
  昭和29年 3 月
昭和31年 3 月
昭和34年 3 月 東北大学文学部印度哲学科卒業
東北大学大学院文学研究科修士課程修了
東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学

職歴
  昭和36年 4 月東北大学文学部助手
昭和37年 4 月鈴木学術財団研究部勤務
昭和44年 8 月株式会社春秋社編集部勤務(昭和48. 3. 31まで)
昭和51年 4 月駒澤大学文学部助教授
昭和52年 4 月東北大学文学部助教授
昭和57年 1 月国立歴史民俗博物館教授
昭和63年10月国際日本文化研究センター教授
平成 6 年10月国立歴史民俗博物館名誉教授
平成 9 年 4 月国際日本文化研究センター名誉教授
   〃総合研究大学院大学名誉教授
   〃白鳳女子短期大学設置準備室長
平成 9 年12月白鳳女子短期大学学長
平成12年 4 月京都造形芸術大学大学院長
平成13年 5 月 国際日本文化研究センター所長(現在に至る)
平成17年   退官

学位: 文学修士(東北大学)専門分野 宗教学・思想史
現在の研究テーマ:宗教・文明の比較研究

研究のキーワード:人間、日本人、自己

主要業績
著 書
2004年 1月 ・ "Wandering Spirits and Temporary Corpses -Studies
in the History of Japanese Religious Tradition-" Edited and
Translated by Dennis Hirota, Nichibunken Monograph Series No.7,
International Research Center for Japanese Studies
2001年 7月 ・『愛欲の精神史』 小学館
2001年 3月 ・『近代日本人の美意識』 岩波書店
2000年 1月 ・『悪と往生』 中央公論新社
1996年 5月 ・『近代日本人の宗教意識』 岩波書店
1990年 7月 ・『死の民俗学』 岩波書店
1981年 6月 ・『神から翁へ』 青土社
1981年 6月 ・『巫の文化論』 佼成出版
1980年 8月 ・『日本宗教文化の構造と祖型』 東大出版社
1976年 8月 ・『日本人の霊魂観』 河出書房

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賞歴
2003年 第54回 日本放送協会 放送文化賞
2002年 和辻哲郎文化賞(一般部門)
2001年 京都新聞大賞 文化学術賞

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科学研究費補助金取得状況
平成4〜6年度 一般研究B 「『いのち』観念にあらわれた日本人の宗教性の実証的研究」
平成7〜9年度 一般研究C 「日本の生命観に関する思想史的総合研究」


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所属学会等
日本宗教学会、日本民族学会、比較文明学会、日本民俗学会


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社会活動等

独立行政法人国際交流基金 国際交流基金賞 国際交流奨励賞 選考委員
大阪府「山片蟠桃賞」 審査委員
亀岡市「生涯学習」 選考委員
京都市教育委員会京都市スーパーサイエンスハイスクール運営指導委員会員
京都文化会議組織委員会 理事
富山県館山博物館 顧問
広島市 平和記念施設あり方懇談委員会
平城遷都1300年記念2010年委員会委員
(財)小倉百人一首文化財団 評議会
関西サイエンス・フォーラム 理事
(社)京都経済同友会「21世紀委員会」委員
(社)京都市社会福祉協議会 桂坂野鳥遊園を育てる推進会推進委員
(財)国連大学協力会 評議員
(財)自治統合センター 文化を基調とした地域再生に関する研究会委員
(財)大学コンソーシアム京都 学術コンソーシアム総会 京都学・21世紀学」研究幹事
中部大学 中部高等学術研究所 評議員
(財)21世紀ヒューマンケア研究機構 評議員
京都国際連合協会京都本部 理事


1 宗教の話 山折哲雄/著 朝日新聞社 1997年3月
2 天皇の宗教的権威とは何か 山折哲雄/著 河出書房新社 1990年10月
3 「いのち」についての60の手紙 十代の君たちへ 往復エッセイ 山折哲雄/著 中村桂子/著 産経新聞ニュースサービス 2002年11月
4 「哀しみ」を語りつぐ日本人 山折哲雄/著 斎藤孝/著 PHP研究所 2003年8月
5 「坐」の文化論 日本人はなぜ坐りつづけてきたのか 山折哲雄/[著] 講談社 1984年12月
6 アジアイデオロギーの発掘 ある宗教思想論の試み 山折哲雄/著 勁草書房 1968年
7 アジアの環境・文明・人間 山折哲雄/編著 法蔵館 1998年3月
8 あわき夢の街トーキョー 森田一朗/編著 現代書館 1998年7月 2
9 いのちの完成 山折 哲雄 他 考古堂書店 像
10 いのちの旅 山折哲雄/著 現代書館 1997年10月
11 オカルト・ジャパン 山折哲雄/著 鎌田東二/著 平凡社 1987年1月
12 お迎えのとき 日本人の死生観 山折哲雄/著 祥伝社 1994年11月
13 ガンディーとネルー その断食と入獄 山折哲雄/著 評論社 1974年
14 こころの作法 生への構え、死への構え 山折哲雄/著 中央公論新社 2002年9月
15 この思想家のどこを読むのか 福沢諭吉から丸山真男まで 加地伸行/ほか著 洋泉社 2001年2月
16 タゴールとガンディー再発見 シンポジウム 葬送の自由をすすめる会/編 山折哲雄/[ほか述] 法蔵館 2001年10月
17 ダライ・ラマ 山折哲雄/文 松本栄一/写真 河出書房新社 1991年11月
18 ものぐさ人間論 岸田秀/著 青土社 1998年10月
19 わが非暴力 藤井日達自伝 藤井日達/著 山折哲雄/編 春秋社 1992年5月
20 愛欲の精神史 山折哲雄/著 小学館 2001年7月
21 悪と往生 親鸞を裏切る『歎異抄』 山折哲雄/著 中央公論新社 2000年1月
22 稲荷信仰事典 山折哲雄/編 戎光祥出版 1999年9月
23 映像最前線 日本文化デザインフォーラム/編 栄光教育文化研究所 1995年9月
24 演歌と日本人 「美空ひばり」の世界を通して日本人の心性と感性を探る 山折哲雄/著 PHP研究所 1984年7月
25 気持ちのいい話? 鷲田清一対談集 鷲田清一/著 思潮社 2001年4月
26 疑わしきは「自明性」 日本の境位を探る1995〜1997 日本有権者連盟/編
27 教えること、裏切られること 師弟関係の本質 山折哲雄/著 講談社 2003年5月
28 環境と文明 新しい世紀のための知的創造  山折哲雄/編著    NTT出版 2005年7月
29 近代日本人の宗教意識 山折哲雄/著 岩波書店 1996年5月
30 賢治の風光 山折哲雄/著 池田一憲/画 佼成出版社 1985年7月
31 元気に老い、自然に死ぬ 山折哲雄/著 秦恒平/著 春秋社 2001年10月
32 講座仏教の受容と変容 6 山折 哲雄 編 佼成出版社 1991年11月
33 国際人間学入門 山折哲雄/編著 春風社 2000年3月
34 魂の航海術 死と死後の世界 スタニスラフ・グロフ/著 クリスティナ・グロフ/著 山折哲雄/訳 平凡社 1982年6月
35 司馬遼太郎対話選集 4 司馬遼太郎/著者代表 関川夏央/監修 文芸春秋 2003年3月
36 死の民俗学 日本人の死生観と葬送儀礼 山折哲雄/著 岩波書店 2002年4月
37 寺を語る僧を語る 山折 哲雄 他 永田文昌堂 1994年2月
38 自然との対話 24人のトークコレクション 山と渓谷社/編 山と渓谷社 2001年8月
39 自然について、私の考えを話そう。 山と渓谷社/編著 山と渓谷社 2000年12月
40 宗教のジャパノロジー シンクレティズムの世界 山折哲雄/著 川村湊/著 作品社 1988年6月
41 宗教の行方 山折哲雄/著 現代書館 1996年2月
42 宗教の自殺 日本人の新しい信仰を求めて 梅原猛/著 山折哲雄/著 PHP研究所 1995年12月
43 宗教民俗誌 聖と俗のトポロジー 山折哲雄/著 人文書院 1984年12月
44 修行と解脱 3 山折哲雄/[ほか]著 佼成出版社 1992年5月
45 巡礼の構図 動く人びとのネットワーク 山折哲雄/[ほか著] NTT出版 1991年3月
46 神から翁へ 山折哲雄/著 青土社 1989年8月
47 神と王権のコスモロジー 山折哲雄/著 吉川弘文館 1993年2月
48 神と翁の民俗学 山折哲雄/[著] 講談社 1991年10月
49 神と仏 日本人の宗教観 山折哲雄/著 講談社 1983年7月
50 人間の行方 二十世紀の一生、二十一世紀の一生 多田富雄/著 山折哲雄/著 文春ネスコ 2000年4月
51 人間の美術 5 山折 哲雄 学研 1990年2月
52 人間蓮如 山折哲雄/著 JICC出版局 1993年4月
53 人間蓮如 山折哲雄/著 春秋社 1970年
54 人間蓮如 山折哲雄/著 洋泉社 1995年9月
55 図説日本仏教の世界 6 山折 哲雄 他 集英社 1989年4月
56 図説日本仏教の世界 7 山折 哲雄 他 集英社 1989年5月
57 世界宗教大事典 山折 哲雄 監 平凡社 1991年2月 23,447円
58 世界宗教地図 ビジュアル版 ニニアン・スマート/編 山折哲雄/監修 武井摩利/訳 東洋書林 2003年8月
59 世紀を見抜く 未来へ向けての豊穣なる対話 山折哲雄/著 加藤尚武/著 金子昭/構成 萌書房 2000年12月
60 精神の再興 山折哲雄/著 佼成出版社 1989年5月
61 聖と俗のインド 山折哲雄/著 有学書林 1992年
62 絶望からの出発 親鸞・その人と教え 山折哲雄 他 籍画像
63 先生、もっと勉強しなさい! 一刀両断 新田均/著 国書刊行会 2002年3月
64 大系仏教と日本人 6 山折 哲雄 春秋社 1986年5月
65 鎮守の森は泣いている 日本人の心を「突き動かす」もの 山折哲雄/著 PHP研究所 2001年6月
66 道元 山折哲雄/著 清水書院 1978年9月
67 日本における女性 日本思想における重層性 山折哲雄/編 名著刊行会 1992年1月
68 日本のこころ 私の好きな人 地の巻 田辺聖子/[ほか]著 講談社 2000年7月
69 日本の心、日本人の心 下 山折 哲雄 日本放送出版協会 2003年12月
70 日本の神 2 山折哲雄/編 平凡社 1995年6月
71 日本の神 3 山折哲雄/編 平凡社 1996年5月
72 日本の伝統美を訪ねて 白洲正子/著 河出書房新社 2001年10月
73 日本宗教文化の構造と祖型 宗教史学序説 山折哲雄/著 東京大学出版会 1980年8月
74 日本人と浄土 山折哲雄/[著] 講談社 1995年11月
75 日本人の思想の重層性 〈私〉の視座から考える 山折哲雄/編 筑摩書房 1998年4月
76 日本人の宗教感覚 山折 哲雄 日本放送出版協会 1996年3月
77 日本人の心情 その根底を探る 山折哲雄/著 日本放送出版協会 1982年10月
78 日本人の霊魂観 鎮魂と禁欲の精神史 山折哲雄/著 河出書房新社 1994年5月
79 日本仏教思想論序説 山折哲雄/[著] 講談社 1985年11月
80 日曜喫茶室頭の解毒剤 天野祐吉/編著 はかま満緒/編著 NHK「日曜喫茶室」制作班/編著 講談社 2000年1月
81 美空ひばりと日本人 山折哲雄/著 現代書館 2001年11月
82 仏教とは何か ブッダ誕生から現代宗教まで 山折哲雄/著 埼玉福祉会 2003年11月
83 仏教とは何か ブッダ誕生から現代宗教まで 山折哲雄/著 中央公論社 1993年5月
84 仏教信仰の原点 山折哲雄/[著] 講談社 1986年10月
85 仏教民俗学 山折哲雄/[著] 講談社 1993年7月
86 暮しのなかの祈り 山折哲雄/著 岩波書店 1998年1月
87 民俗宗教を学ぶ人のために 山折哲雄/編 川村邦光/編 世界思想社 1999年7月
88 夢をつむぐ人々 白鳥正夫/著 東方出版 2002年7月
89 臨死の思想 老いと死のかなた 山折哲雄/著 人文書院 1991年5月
90 霊と肉 山折哲雄/著 東京大学出版会 1979年1月
91 霊的存在のアンソロジー 山折哲雄/[ほか]著 阿含宗総本山出版局 1984年8月
92 「坐」の文化論 山折哲雄/著 佼成出版社 1981年6月
93 「死」をめぐる三つの話 山折哲雄/[ほか]著 仏教大学「仏教とターミナル・ケアの研究」会/編 大法輪閣 1996 年7月
94 「日本」を超えろ 福田和也/著 中西輝政/[ほか対談] 文芸春秋 1999年10月
95 「歩く学問」の達人 中川六平/著 晶文社 2000年8月
96 「林住期」を生きる 仕事や家を離れて第三のライフステージへ 山折哲雄/編著 太郎次郎社 2000年10月
97 21世紀をめざす信仰 村上和雄/著 山折哲雄/著 扶桑社 1991年8月
98 アーラヤ的世界とその神 仏教思想像の転回 津田真一/著 大蔵出版 1998年7月
99 いのちの対話 河合隼雄/著 潮出版社 2002年7月
100 いのりの旅 現代書館 1999年3月
101 いまを生きる 山折哲雄/著 淡交社 1999年11月
102 インド・人間 山折 哲雄 平河出版社 1980年1月
103 インドの婚姻と家族 K.M.カパディア/著 山折哲雄/訳 未来社 1969年
104 オカルト・ジャパン 山折哲雄/著 鎌田東二/著 平凡社 1987年1月
105 キーワードで読み解く最新宗教学入門 山折哲雄/著 たま出版 1996年8月
106 こころの旅 山折哲雄/著 現代書館 1997年11月
107 このへんで、お先に 日本人のしなやかな死生観 山折哲雄/著 祥伝社 1999年10月
108 さまよえる日本宗教 山折哲雄/著 中央公論新社 2004年11月
109 さまよえる日本人の魂 宗教の自殺 梅原猛/著 山折哲雄/著 祥伝社 1999年6月
110 すぐわかる日本の宗教 縄文時代〜現代まで 川村邦光/執筆 山折哲雄/監修 東京美術 2000年10月
111 デクノボーになりたい 私の宮沢賢治 山折哲雄/著 小学館 2005年3月
112 バイオメーション 21世紀の方法序説 渥美和彦/著 清流出版 1998年10月
113 はじめての宗教 宗教を知り心を育む 山折哲雄/著 ひろさちや/著 上田正昭/著 今道友信/著 阿部博人/著 栄光 2005年3月
114 ブッダの教え 仏教二五〇〇年の流れ 山折哲雄/著 大村次郷/写真 集英社 2001年2月
115 ものぐさ人間論 岸田秀/ほか著 青土社 1996年12月
116 一般倫理の研究 国際化への道 大槻徳松/著 東京図書出版会 2002年11月
117 家族を看とるとき 日野原重明/編著 石垣靖子/著 山折哲雄/著 村上和雄/著 恒藤暁/著 窪寺俊之/著 沖原由美子/著
田村里子/著 錦織葆/著 斎藤竜生/著 川越厚/著 沼野尚美/著 永井照代/著 松島たつ子/著 春秋社 2005年5月
118 河合隼雄全対話 10 河合隼雄/著 第三文明社 1999年5月
119 学問の反乱 漂泊の旅の如く 山折哲雄/著 佼成出版社 1993年1月
120 祈りのガンガー 田村仁/写真 山折哲雄/文 河野亮仙/文 佼成出版社
121 近代日本と仏教 末木 文美士 著 トランスビュー 2004年6月
122 近代日本人の美意識 山折哲雄/著 岩波書店 2001年3月
123 九つの対話 梅原猛/著 潮出版社 2000年3月
124 賢治の風光 山折哲雄/著 池田一憲/画 佼成出版社 1985年7月
125 幻獣(イメージ)の原型と変容 山折哲雄/[ほか]著 北宋社 2001年2月
126 乞食の精神誌 山折哲雄/著 弘文堂 1987年3月
127 乞食の精神誌 山折哲雄/著 弘文堂 1987年3月
128 山折哲雄こころ塾 山折哲雄/[著] 読売新聞大阪本社/編 東方出版 2004年5月
129 司馬遼太郎 谷沢永一/著 PHP研究所 1996年10月
130 司馬遼太郎について 裸眼の思索者 NHK出版/編 日本放送出版協会 1998年2月
131 四谷ラウンド 1997年7月
132 死に方が知りたくて 朝日新聞大阪本社/編 Parco出版 1995年9月
133 死を見つめて生きる 山折哲雄/著 ひろさちや/著 ビジネス社 2002年7月
134 死を視ること帰するがごとし 山折哲雄/著 講談社 1995年4月
135 次世代リーダー養成塾 大成するために今、すべきこと 日本の次世代リーダー養成塾/編 祥伝社 2004年11月
136 執深くあれ 折口信夫のエロス 山折哲雄/著 穂積生萩/著 小学館 1997年11月
137 呪殺・魔境論 鎌田東二/著 集英社 2
138 宗教のジャパノロジー シンクレティズムの世界 山折哲雄/著 川村湊/著 作品社 1988年6月
139 宗教の力 日本人の心はどこへ行くのか 山折哲雄/著 PHP研究所 1999年3月
140 宗教思想史の試み 山折哲雄/著 弘文堂 1990年3月
141 宗教的人間 山折哲雄/著 法蔵館 1982年9月
142 宗教民俗誌 聖と俗のトポロジー 山折哲雄/著 人文書院 1984年12月
143 修行と解脱 1 山折哲雄/[ほか]著 佼成出版社 1992年5月
144 修行と解脱 2 山折哲雄/[ほか]著 佼成出版社 1992年5月
145 巡礼の思想 山折哲雄/著 弘文堂 1995年3月
146 書評はまったくむずかしい 赤坂憲雄/著 五柳書院 2002年5月
147 小学生に授業 河合隼雄/編著 梅原猛/編著 小学館 1998年6月
148 少年の夢 梅原猛対談集 梅原猛/編 小学館 1997年8月
149 心の時代を読み解く 二十一世紀に宗教は必要か 天外伺朗/著 飛鳥新社 2002年9月
150 神から翁へ 山折哲雄/著 青土社 1989年8月
151 神と私 人生の真実を求めて 遠藤周作/著 山折哲雄/監修 海竜社 2000年5月
152 神秘体験 山折哲雄/著 講談社 1989年4月
153 親鸞 1 山折哲雄/原案 バロン吉元/画 ホーム社 2005年4月
154 親鸞 2 山折哲雄/原案 バロン吉元/画 ホーム社 2005年5月
155 人間蓮如 山折哲雄/著 春秋社 1979年5月
156 図説日本仏教の世界 6 山折 哲雄 他 集英社 1989年4月
157 図説日本仏教の世界 7 山折 哲雄 他 集英社 1989年5月 2,936円
158 成熟への視点生老病死 山折哲雄/著 佼成出版社 1999年3月
159 生と死のコスモグラフィー 山折哲雄/著 法蔵館 1993年2月
160 精神の再興 山折哲雄/著 佼成出版社 1989年5月
161 聖と俗のインド 山折哲雄/著 有学書林 1992年6月
162 聖と俗のインド 現代によみがえるガンディー 山折哲雄/著 第三文明社 1998年3月
163 絶望からの出発 親鸞・その人と教え 山折哲雄 他 像
164 多生の縁 玄侑宗久対談集 玄侑宗久/著 文芸春秋 2004年3月
165 誰が歴史を糺すのか 追究・日本史の真実 井沢元彦/著 祥伝社 2001年4月
166  地獄と浄土 山折哲雄/著 春秋社 1993年12月
167 地獄と浄土 山折哲雄/著 徳間書店 1998年1月
168 中原中也のこころ 山折哲雄/[ほか]著 佼成出版社 2004年6月
169 二荊自叙伝 大正10年-15年 上 斎藤宗次郎/著 栗原敦/編 山折哲雄/編 岩波書店 2005年3月
170 日本「宗教」総覧 山折哲雄/[ほか]著 新人物往来社 1992年10月
171 日本とは何かということ 宗教・歴史・文明 司馬遼太郎/[ほか]著 日本放送出版協会 2003年5月
172 日本のこころ、日本人のこころ 山折哲雄/著 日本放送出版協会 2004年11月
173 日本の心、日本人の心 上 山折 哲雄 日本放送出版協会 2003年9月
174 日本の神1 山折哲雄/編 平凡社 1995年5月
175 日本史再検討 3 井沢元彦/著 世界文化社 1999年2月
176 日本宗教史年表 日本宗教史年表編纂委員会/編 山折哲雄/監修 河出書房新社 2004年2月
177 日本宗教文化の構造と祖型 山折哲雄/著 青土社 1995年2月
178 日本人の顔 図像から文化を読む 山折哲雄/著 日本放送出版協会 1986年5月
179 日本人の宗教感覚 山折哲雄/著 日本放送出版協会 1997年10月
180 日本人の情感はどこからくるのか 山折哲雄/著 草思社 2003年5月
181 日本人の霊魂観 鎮魂と禁欲の精神史 山折哲雄/著 河出書房新社 1988年8月
182 日本仏教思想の源流 山折哲雄/[著] 講談社 1987年9月
183 日本文明とは何か パクス・ヤポニカの可能性 山折哲雄/著 角川書店 2004年11月
184 日本文明史 4 山折 哲雄 角川書店 1990年8月
185 日本歴史民俗論集 9 山折 哲雄 他編 吉川弘文館 1994年5月
186 悩め、人間よ 親鸞、空海、日蓮、隠された人間像 山折哲雄/著 ネスコ 1997年11月
187 悲しみの精神史 山折哲雄/著 PHP研究所 2002年1月
188 美空ひばりと日本人 山折哲雄/著 PHP研究所 1989年10月
189 仏教と音楽 山折哲雄/著 作陽学園出版部 1999年6月 5
190 仏教の人間学 2 大正大学/編集 みち書房 1997年4月
191 仏教用語の基礎知識 山折哲雄/編著 角川書店 2000年6月
192 仏光寺異端説の真相 福嶋崇雄/著 藤谷信道/著 熊野恒陽/著 山折哲雄/特別対談 佐々木英彰/特別対談 白馬社 1999年7月
193 物語の始原へ 折口信夫の方法 山折哲雄/著 小学館 1997年11月
194 文化としてのIT革命 山崎正和/編 西垣通/編 岡田朋之/[ほか著] 晶文社 2000年10月
195 本当の「癒し」って何!? 山折哲雄/著 ひろさちや/著 ビジネス社 2000年6月
196 涙と日本人 山折哲雄/著 日本経済新聞社 2004年8月
197 涙骨抄 生きる智慧 真渓涙骨/著 山折哲雄/監修 法蔵館 2005年4月
198 霊と肉 山折哲雄/[著] 講談社 1998年12月
199 霊的存在のアンソロジー 山折哲雄/[ほか]著 阿含宗総本山出版局 1984年8月
200 蓮如 転換期の宗教者 山折哲雄/編 大村英昭/編 小学館 1997年9月
201 蓮如と信長 山折哲雄/著 PHP研究所 2002年10月
202 西行巡礼 山折哲雄/著 新潮社 2003年1月 4



【書評】
  山折哲雄著『日本文明とは何か――パクス・ヤポニカの可能性』角川書店、2004年、330頁、
  比較文明学からの日本文化恢復 http://members.ld.infoseek.co.jp/chinohito/syohyou/terao1.html
                           寺尾寿芳  

 現代日本において多少なりとも宗教に関心を抱くもので、山折哲雄氏の著作を一冊も読んだことがないという人はまずいないものと思われる。じつに多くの著作が刊行され
ている事実からその人気ぶりが容易に推定される。しかし、いわゆる「研究者」と呼ばれる人たちのあいだで山折氏の名前が挙げられるとき、いささか微妙な空気が流れるこ
とはいなめない。そしてそうした場合のつねとして多くの研究者は、とりあえず批判的に評しつつ、なかには面白いものもありますけどねえ、などとつぶやくのである。御多
分に漏れずわたし自身もそうした一人だった。  

「宗教学者」山折哲雄が宗教学という知の「構築」に資する学術領域に属すかぎりは、客観的な、つまりは文献ないしは調査結果に沿った解釈に徹すべきだという大方の立場
からすれば、山折氏の著作の多くはたしかに巧みな編集能力をみせるものの非学術的と判ぜられるかもしれない。しかし山折氏には宗教学者とは別の顔として「比較文明学者
」の一面を持つ。現に山折氏は比較文明学会の主要メンバーであり、また本書のように文明論的な著作も多い。評者は近年、この比較文明学を知るにいたり、従来のような学
術世界(阿部謹也氏によれば理不尽な拘束を無意識かつ自発的に強いる「世間」の一種)の「常識」にこだわらなくなった。しかし、それは比較文明学がたんに新しい領域で
あるゆえに自由な気風に満ちている(つまりやがては他の領域同様、時間の経過に比例して硬直していく)からだ、というわけではない。

 比較文明学において主導的な役割を果たしてきた神川正彦氏は、比較文明学の主要な性格を既成の学問領域を超える学際的な統合性、未来を視野に収める使命志向科学(こ
とに平和学的志向)、抽象に堕しない具体的普遍性等に見てとるが、その背景には比較文明学が秘める知の構築ならぬ「組み替え」を企図するものであり、いわゆる「異端」
的な発想を重視することがある(神川正彦『比較文明の方法』、刀水書房、1995年を参照のこと)。細分化および硬直化した学術研究の殻を破るために比較文明学への強い関
心を抱く評者としては、比較文明学的な本書に対して肯定的な評価を下したい。おそらく研究者のあいだに散見される山折氏への否定的評価の裏には、往々にして「怠りの罪
」の急所を突かれたことに似た戸惑いがあるものと思われる。その困惑を抑圧せず、いささか沈滞気味な己れの研究活動に向けた活性剤として活用すればよいのではなかろう
か。ともあれ、山折氏の手に掛かるとどこかですでに見聞きした話題が新たな意匠をみせ、新鮮な問題を投げかけてくることはたしかであろう。

 本書には示唆深い論題が多く並んでいる。共生感覚にひそむエゴイズム、餓鬼と大食、犠牲と救援のあいだにあるべき調停、死者をゆるす文明とゆるさない文明、等々であ
る。それらの論考はいささか危うい断定化あるいは一般化を秘めつつも、いつもながらに読み手を楽しませる「山折節」を歌っている。しかし、最大のテーマはまさに書名か
ら読み取れるように、日本の文化が平和の実現に向けた世界史的つまりは文明的可能性をもつという点であり、その焦点を著者は「公家的なもの」に置いている。こと「平和
」を主題にしているかぎり、しかも著者がいわゆる宗教学者としてひろく一般に大きな影響力をもつ人物である以上、地に足をつけた宗教対話から平和探求に心砕くわれわれ
として看過できない著作といえるだろう。

 著者は日本が長期にわたる平和を実現した時代として平安時代の350年間と江戸時代の250年間を挙げる。いうまでもなくこれらの時代にも身分制、紛争、飢饉といった平安
とは程遠い状況がつねにみられた。しかしいま評者はその反証の是非を問うつもりはないし、またその能力もない。ともあれ、著者はこのあわせて600年間にもおよぶ長い歴史
を通じ「公家的なもの」が「武家的なもの」をたくみにコントロールしていたことを、花田清輝の慈円論等を手がかりに述べていく。そしてその公家的なものの典型を密教の
加持祈祷とならんで、公家文化のスノビスムに見出している。しかもその観念のなかには「隙あらばいつでも身分や格差の逆転をもくろむ意識の急上昇を演習する」過激さが
秘められているという。言うまでもなく、この過激さを生で表現してはもはやスノビスムの名に値しまい。いや、そもそもその表出はただちに武家的なものから殲滅を招くだ
けに終わるだろう。(一言付け加えるならば、敗北による被支配すらも自家憧着の回避に有益だとするアーノルド・トインビーの主張に著者は着目している。賢察であろう。

 ここでわれわれは容易にニーチェがいうルサンチマンを想起できようが、さすがに山折氏はぬかりない。公家的なスノビスムに一種の超論理つまり「味方を敵の眼でみると
ともに、敵を味方の眼でみる」複眼的思考、二重スパイの眼差しを内蔵するカメレオン的思考を読み取り、その「ルサンチマンの発現を制圧しつづける」行動様式を称揚して
いる。評者としては、こうした公家的な特徴をたしかに認知するものの、はたしてそれがいわゆる文明的な機能をただちに果たしうるのかいなかに関しては、にわかに判じが
たいというのが正直な感想である。つまり、著者の言辞を借りれば、天皇の権威に依拠する「真空虚点」がたまたま幸運にも生起したという偶然に依存しているだけではない
かという疑問を抑えきれないのである。

 がしかし老獪なる山折氏は二つの視点を打ち出すことで、こういった通念的批判を超える道を描き出している。

  第一の点は、天皇に代わりうる真空虚点としてガンディーを挙げていることである。ガンディーがみせる一種の異形性そしてその民衆との近さは、中世日本の天皇が示す形
態とたしかに類比している。しかも公家的なもの(その究極態としての天皇的なもの)やガンディー的なものに共通する非暴力的な性格は意外に諸文明に普遍的に観察される
ものかもしれない。評者としては漂泊者や隠遁者を思い浮かべる。日本におけるその系統には一遍や一休さらには親鸞がひかえているだろう。天皇にアレルギーをもつものも
、ガンディーに対してはそのような反発を抱くことはまずなかろう。その是非はともかくとして、この類比性に対しては辛抱強く注目していく必要があると思われる。

 第二の点は、アレクサンドル・コジェーブの主張に沿いつつ、著者が「西洋人の日本化」の可能性を打ち出していることだ。顧みれば、従来の日本主義はともすれば日本が
保持する最良のものならば、おのずと世界に通用するはずだという素朴な思い込みに支えられていたのではなかろうか。ならばこそ、この「西洋人の日本化」という発想は従
来型の日本主義のたんなる再生(その危険性にはつねに注意を払うべきである)とは異なる次元を開くはずである。そしてその新次元は日本文化の文明化にとり不可欠のもの
であろう。 もっとも、著者はこの次元を日本的スノビスムに見出すわけだが、その西洋人への浸透過程はいまひとつ明瞭ではない。しかし思えば、禅、寿司、アニメから家電
製品さらに自動車までさまざまな形をとりつつ日本は西洋で受容されてきた。

 私事で恐縮だが、いま初の長期海外滞在としてカリフォルニアに暮らす評者も、ハード・ソフトの両面で「ジャパン」の浸透力に驚かされている。察するに、コジェーブが
理知的な次元で予告した西洋人の日本化を具体化するのは、サンフランシスコ生まれの著者のみならず、海外で活躍するディアスポラ的日本人たち、あるいは日本的生活に自
然となじんでいる滞日外国人たちなのかもしれない。比較文明の徒はつねに異端者として文明の接際面にうごめくものである。

 さて著者は巻末にて、西洋文明に顕著な生き残りセオリーに対してガンディー的な無常セオリーの有効性を提唱する。まさに公家的なものの究極として平家物語に見出され
、また通文明的にトルストイの『戦争と平和』に観察できるというこの「生き残ることの限界をとことんつきつめたモラル」は、まことに危険にして、かつ魅惑的な発想だ。
スノビスムの普遍的再発見とその権威への挑戦可能性の保持。まさに絡め手のアプローチが欠かせない。それが容易に実現できそうもないことからして、なおさらにインター
ディシプリナリ的で実験的な比較文明学の洗練化とその適用はますます避けられない喫緊の課題として浮上してくるだろう。なお、この課題は公家的なものとどこか共鳴する
ところが多分にありそうな「他力」のアクチュアリティを実感するためにも必要だろうと申し添えておきたい。 比較文明学の徒として評者は、いま著者一流の妙技を体験し、
自分自身のなかでいかなる新しい発想が生まれてくるのかと待望しているところである。

  詳述しなかったが、評者は多くの点で著者とは異なる見解をもっている。にもかかわらず基本的な共感を得たのは、評者がかねて「新しい『新しい中世』」の可能性に期待
を抱いてきたからであろう(この点に関しては、国際宗教研究所編『新しい追悼施設は必要か』、ぺりかん社、2004年を参照のこと)。かつてのネオトミスト的な過度に理性
的なる共同体保持志向の「上からの」新しい中世ではなく、社会史の成果を視野に入れた無縁志向の「下からの」新しい中世を模索する評者にとり、著者の思索は新たな着想
のヒントを多く提供してくれた。この意味で公家的なものは、評者のみならず多くのカトリック神学者が模索する古くて新しいカトリシズムの実現に貢献できるものと思われ
る。

  しかし本書のより重要な貢献は、美の探究が平和の実現に結びつく可能性をほのめかしえていることだろう。かつてより日本文化最大の特徴は繊細さや洒脱を特徴とするそ
の美志向に見出されるといわれてきた。現代でも経済史家の川勝平太氏が美に依拠した国づくりを提唱しており(『「美の文明」をつくる』、筑摩書房、2002年。しかし川勝
氏の思想は、あくまで山折氏のいう生き残りセオリーに基づいているものである)、神学面では地の人同人でもある阿部仲麻呂師が貴重な労作を上梓している(『信仰の美学
』、春風社、2005年)。

 これらの著作に触発されつつもわたし自身に残されていた課題は、いかにその美志向が平和志向へと連続していくのかに関して手がかりを探ることだった。本書を読むこと
を通じてその一端を感取しえたように思われる。そしてこの個人的感想は、ひろく現代日本の学術研究が抱える過剰な実証主義や客観志向という宿痾を破る可能性となにかし
ら響きあっているものと信じる。拙評をあえて公にする所以である。(てらお・かずよし、バークレー神学大学院連合〔Graduate Theological Union, Berkeley〕客員研究員


近代日本人の美意識 (山折哲雄著 岩波書店 2,700円)

 いつもながら、死のにおいがする。山折の著作には、いつもぬぐいがたい死のにおいがする。多分、彼自身、知らず知らずのうちに、そのにおいにたぐり寄せられるのだろ
う。山折は、その死のにおいのなかに、日本文化の本質をかぎ取る独特のきゅう覚をもっている。

 5年ほど前、山折は著作「近代日本人の宗教意識」によって、日本の風土に根づく自然感覚と、その奥底に貫流する縹渺(ひょうびょう)たる原初的宗教意識に光をあてた。
その文章にも、死のにおいが漂っていた。今回、その姉妹書ともいえる本書を梓(し)に上らせるにあたり、「宗教の最高形態は芸術であり、同様に芸術の最高形態は宗教で
ある」という言葉で述懐する。間違いなく宗教と美は表裏一体をなすものであり、そして、間違いなく両者には、生への情動とその反作用としての死が通底している。


宗教と美に通底する死

 茶道、詩歌、性愛などの問題から、そのような美と宗教の核心を導き出すために、山折が本書で駆使した手法は「対照」である。茶の湯をめぐる道元と千利休、芭蕉をめぐ
る折口信夫と僧仙◆(せんがい)、「写生」論をめぐる高浜虚子と斎藤茂吉、その茂吉と宗左近、ゲーテ…という対照。一見、必然ではないその対照のなかに、日本近代にま
で到達する美意識の隠微な陰りの核心が、おぼろげながらも像をとり結んでいる。その手法は、成功した。

 ただ、鎮魂のアニミズム、「無」のディスコース、虚無の心といった山折独自のキーワードは、いささかとっつきがたい「不確かさ」をもつ。けっして山折を誣(し)いる
つもりはないが、彼の思考に実証を期待してもしかたがない。その思考は、あくまで恣意(しい)による観想に重きをおく。それは思惟(しい)に通じ、そして詩の意と死の
意に通じるのだ。恣意に徹する彼の態度は万能ではなくとも、無駄ではない。この詞華集から発せられる閃(せん)光は、実証的検証からは見えない、陰影に富んだ日本人の
心を、読者に残像として焼きつけてくれるであろう。  評・菅豊(東大東洋文化研究所助教授・民俗学) 注)◆は「涯」の「さんずい」を取る  Copyright(c) The
Hokkaido Shimbun Press.

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http://www.geocities.co.jp/Berkeley/4549/shukyojisatu.html
『宗教の自殺』(PHP研究所)梅原猛・山折哲雄 P 抜粋文

19 山折)「一闡提」という言葉の意味は、仏法を誹謗する人間、すなわち異端の徒である。仏教の伝統でも、異端排除の議論があったわけだ。異端の徒は悪人であるとして成
仏させてもらえなかったのである。仏教は一面で善悪を超える一元的な救済思想すなわち成仏論を主張しながら、同時に善悪二元論的なものの考え方をひそかに導入していた
ということができるだろう。
37 山折)儒教であるがそこでもまた、さまざまな徳目や価値が説かれており、たとえば仁義礼智信の五常、孝行や忠義などの五倫の考えが日本にもたらされた。しかし一般の
日本人が儒教の教えの中から受け取った徳目として最も重要なものは、自己修養ということだったのではないか。人生における自己訓練の重要性ということである。
ルーソ・ベネディクトは、有名な日本人論『菊と刀』の中で、「日本人の自己修養」という章を設けている。日本人は、スポーツや教育、あるいは経済活動などの日常生活にお
いて、つねに自己修養ということを大事にしていると書いている。儒教の日本人的な特性はこの修養という考え方にきわまるのではないだろうか。ベネディクトは日本人のう
ちに見るべきものをちゃんと見ていたのである。
64 ルサンチマンが国家の改造という方向に向けられていったという点で、麻原の行動パターンというのは日蓮の場合とよく似ている。
世紀末の意識がそこに働いていていたということもあるかもしれない。追い詰められているという感覚が異常に肥大化していったといえるでしょう。
また、日蓮といえば、麻原彰晃の自己認識の仕方が日蓮のそれに非常によく似ているような気がします。
109 山折)秀吉は、確か遺言の中でだったと思いますが、自分を八幡神として祀れといっています。秀吉は八幡神になりたかったのです。ところがそれを朝廷が許さなかった
。八幡神は、源氏の氏神であると同時に、朝廷の守護神でもあり、そこまで秀吉を祀りあげることはないだろうと横やりが入るのです。それで結局、かれは死んで豊国大明神
になった。
129 山折)儒教には、忠君愛国から親孝行、兄弟仲良くしろといったことまで、いろいろなレベルでいわゆる仁義礼智信を強調するところがあるわけですが。ただ、そのよう
な儒教のものの考え方あるいは世界観から、一般の日本人が、何を一番大事なものとして受け取ったかというと、前にも述べたように私は修養ということではなかったかと考
えているのです。人間は、どんな人でも修養することによって立派になれるのだという道徳観みたいなものが、知識階級ばかりではなく一般の町民、農民に至るまで浸透した

修養を積むことによって、人は期待される人間になることができる。期待された人は、その期待を裏切ってはならない。これが修養を積んだ人間の基本的倫理観ということに
なります。日本の村落において、裏切る人間は最悪であるという考え方は、ここから出てきていたのではないか。先程の嘘をついてはいけないということとも関係しています

144 日本人というのは、神を信じる代わりに人を信じてきた民族なのではないかと思いますが、どうでしょうか。人を信じるとは、人の思いとか願いとかをおもんぱかるとい
うことです日本人においては、相手を見る眼差しが、相手の心を見てしまうということがあります。堕から不幸な人間の怒りや恨みに非常に敏感に反応する。
日本は、そういう文化をつくってきたのではないか。基本に、どうもやっぱり、神仏信仰といいながら、そういう意味での人間信仰があるように思います。そしてそれが日本
人の菩薩行、利他行に発展していくのです。そこのところがインド伝来の仏教の菩薩行や利他行とやや違う。しかし他方で、いくら人間を信ずるといっても人間というのはし
ょせん人を裏切る存在です。これが人間信仰文化における悲しいところですね。カミの代わりにヒトを信じてきた日本社会のジレンマです。ヒトを信じようとして、しかし信
じきれないから、そこに無常の風が吹くということになるんですね。日本的な無常観の特色がそこに見られると思うのです。
153 山折)日本人はヨーロッパから、平等とか博愛とか自由などを学びましたけれども、これらは仏教にないわけではない。仏教にないのは、個人主義だけだった。個人主義
は、日本人が西洋思想の中から受け取った最大の贈物ではないかと思います。
この西欧からいただいた個人主義と、儒教からもらった修養、それに仏教から受容した無常観を統合しますと、何とはなしに日本的風土における成熟する人間≠ェ見えてく
る。そういう人間のあり方に高い評価を置いた日本人の倫理観みたいなものを、私は私なりに感ずることができるし、納得できるのです。日本社会においては、未熟な人間
≠ノ対しては、かなりきついところがあります。
154 梅原)日本には、私たちの父や母の時代までは、日本の習俗と仏教や儒教が結びついたある種の倫理観が残っていたのだけれども、…それがやがて国家主義の集約されて
、しかもそれさえも昭和二十年に戦争に負けて、否定されてしまった。
170 梅原)日本人は戦後、倫理をつくらなかったのではなくて、そういうものは必要がないのだと主って生きてきたような気がします。倫理とか哲学などは、戦後の日本人に
とって無用の長物だった。人間とは何かなどと、改めて問う必要はないのだ。人間とは、物質的な幸福を求めていきる動物であるというぐらいで、結構である。そういう哲学
無用論が、戦後ずっと支配してきたのだと思います。
176 先祖崇拝こそ日本人の根本――梅原)柳田国男が『先祖の話』を書いたのは、昭和二十五年、戦後直後のことです。日本は戦争に負けていろんなものを失ったが、先祖崇
拝の気持ちまで失ったら、もう日本人は日本人でなくなってしまうと、非常に危機意識をもって書いています。
206 梅原)既成仏教が葬式仏教に陥っているという批判はよくいわれることである。清沢満之の思想によって生まれた葬式仏教を脱却せよという東本願寺の改革運動は、確か
に一定の成果をあげたことは間違いない。参)葬式無用論
209 梅原)わたしは日本の神道は国家主義の呪縛から脱却するのが何よりもまず必要なことであると思う。明治以来百年間を支配した神道は、却って神道の魂を殺したのであ
る。
210 既成の宗教によって点火されなかった宗教心に新興宗教が火を着け、人々を巨大な信仰集団の徒にしたことは新興宗教の功績であり、それ以外に救われる術がなかった人
々をして、心の安定を得させたことは高く評価されるべきであろう。
しかしながら、私にはこの新興宗教がたちまちに金集めの組識に変化することに深い憂慮をおぼえるのである。新興宗教がある程度大きくなると、必ずその教祖を絶対者とし
て、神あるいは仏の再来としてあがむ。そして教祖をピラミッドの頂点とする教団を拡張することが最大の善と考え、そのために猛烈な金集めが行われる。そのことが私は、
大きな疑問なのである。……
宗教の教祖というものは、多かれ少なかれ詐欺師の能力を持っているといえる。詐欺師はというのはいささかいい過ぎであるが、あるいは役者の才能といってもよいかもしれ
ない。つまり、ひょっとしたら間違っているかもしれない自分の教説を百パーセント真実であると思わせる才能である。そのためには自分自身が自分の教義を百パーセント信
じなければならないが、このような才能を持たない人々は、決して多くの人に影響を与える宗教家になれない。
しかし、真の宗教家は自分の詐欺師的な才能に十分警戒している…。
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