またこれに先立ち前夜祭が催されました。この企画はM氏の提案によるもので、奥土井美香さんの平和を唄うジャズソング、水澤心吾さんの一人芝居と言い、前夜祭にぴったりの内容でした。特に水澤心吾氏の杉原千畝をテーマとした「6千人の命のビザ」の一人芝居は言語の障壁を超えて親族の大半がホロコーストに遭遇されたカーンご夫妻の心を大きく揺さぶり、寸劇終了直後、水澤氏と感動的な出会いの場となりました。
8月1日から8月9日までの10日間の内容を一々ご報告することは無理ですので、その間に起こった感動的な出来事の一部を小生の感想を含めてお届けします。
1、 「命ある有精卵のみ、孵化する。」
今回の種子は詩人、森井香衣さんでした。彼女の詩人として平和への命の叫びがあったればこそ、今回、国際交流基金を動かし、東大、国連大学、世界的に著名な芸術家を動かし、大きな感動の渦を巻き起こしました。
無精卵にいくらエネルギーを投じても無駄です。命ある有精卵であってこそ雛も誕生する。このことは先進国の福祉政策、発展途上国への国際協力においても言えることでしょう。
今回の「Peace on Earth」プロジェクトで素晴らしいポスター、ビラ、詩集、ロゴマーク入りのTシャツが生まれた。東京、広島、長崎での平和集会での詩人たちの詩を通しての世界平和へのメッセージ、またそれを盛り立てる芸能人たち(クリスタル・ボウル、インデアンフルート等)の協力、実行委員を含めほとんどボランティアであったので予算が200万円で済みました。この成果は何倍もの予算があってもできない内容のものでした。
2、 「思いがけない歓待」
当初、地方までカバーするには予算が無いので、小生は東京だけで済ます予定でした。しかし、京都で接待をアレンジされたI氏が言語の問題もあって小生を誘われた。出費からみれば冒険でしたが、日ごろの氏の献身的なご努力に鑑み、思い切って11人の一行に同行することにしました。
8月3日京都での夜、準備された宿は元伯爵家に6億円もかけてリフォームした純和風の豪邸であった。美しい庭園、茶室、大広間すべて貸切であった。一夜だけでの40万円を下らない。小生、今までノーベル賞学者をふくむ多くの要人をご案内したことがあるが、このような場所で接待すれば、VIPは日本の心を瞬時に解し、永遠に忘れることができないひとときとなることであろうであろう。
8月3日この日がカーン博士の奥様、ミリアム・オルター氏の60歳の誕生日であるとは突然地方随行を決めた小生にとってその場で初めて知ったことでした。
ホテルのオーナーの配慮でその日のためにバースデーケーキ、心のこもったお祝いの品も準備されていました。純和風だけではなく、上品なバーも備えられており、バーではジャズを楽しめるようになっている。同席したクレキー氏は世界的も著名なオペラ歌手で誕生お祝いの歌を唄うと、ジャズの大好きな和服姿の女将がジャズのCDコレクションを取り出し、英語、フランス語を駆使してしばし、ジャズの話にも花が咲きました。
思いがけない心のこもった歓待に、ミリアムさんは「生涯忘れることのできない思い出となりました」ご主人のカーン博士も「永遠に忘れることのできない一夜でした」とお礼の言葉を述べられました。
心から喜びに満ちたご夫婦のお姿を拝見し、ホロコーストで惨殺された数多くのご親族の長年の恨が解放され、その人々の笑顔が浮かぶような平安なひと時でした。
歴史上、恨を残して他界した多くの霊を慰める唯一の道は、イデオロギー、宗派、国境を超え、今日のように後孫が心から喜ぶような平和で幸福な環境を作ることであると痛感しました。
3、 広島でも思いがけない歓待に遭遇しました。
8月5日全日空ホテルでマツダ、広島大学のPCの情報処理を一手に引き受けている会社社長、娘ご夫婦の歓待を受けた。実は200着のロゴマーク入りのTシ
ャツはこの社長が寄贈くださったものであり、社長は被爆者の1人であることもそのとき初めてを知りました。
その日の夜、30名に膨れ上がった一行、全員を詩を通じた平和運動をされているご夫人のご自宅に招待を受けた。ご主人は元広島大学小児科医、現在は心身症の病院長でとのこと。
優に300坪もある和風の大邸宅、30人を収容しても余りあるゆったりした空間。
詩人であるご子息に司会で始まったホームパーティー、詩の朗読や歌も披露され英語、フランス語、スペイン語、ヘブライ語の飛びかう交流の場であった。
一流フランスレストランのシェフがその場で調理をし、フランス料理、寿司の超上等であった。
4、 長崎でも某社長が一行を歓待される予定であった。社長が急遽県外出張とのことでこれは実らなかったが、多くの人々の真心に答え8日長崎での最後の夜、小生は思い切って一行全員を由緒ある中華料理店にご招待した。日本人のメンバーが自発的に一人千円づつカンパしてくださったので幾分かは助かったが、自らを犠牲にしても“為に生きよう”とする同行したスタッフ達の心粋は十分伝わったようだ。カーン博士からもエルサレム市を描いた銀の飾り物を頂いた。
5、 今回の国際平和文化フォーラム(公式HP有り)のメインテーマは「平和への新しいアプローチ」であった。
8月6日、広島での慰霊式典には今回始めて、国連事務総長、かつて敵国であった米国、英国大使も出席した。小生は式典直後の国連事務総長の記念講演に参加していたが同行していた一行にスケジュールと重なるため、途中で退席せざるを得なかった。一行は既にユネスコが紹介した平和フレンドシップセンターに行っていたが、一行は長々と被爆者の証言聞かされ、話の重さ、日中の暑さに何人も体を壊し倒れていました。
広島で最初に訪問したのは原爆資料館であった。長崎での最初の訪問地は大浦天主堂であった。天主堂でクレキー氏がアベマリアを奉納した。8月9日、長崎での慰霊式典、長崎市長、菅首相らのメッセージはあったが海外からのメッセージは無かった。同じ時間、浦上天主堂ではおごそかなミサの真っ最中であった。毎年同じ形式的式典、数多くの人々がそれぞれの思いを込めて長崎に集まっている。これでいいのだろうか?
行政府主催に行事にはなぜか「心が無い、命が無い、感動が無い」と感じられるのは私、一人であろうか?
8月9日早朝、小生は26聖人の殉教の丘を訪れ、お祈りした。若い神父が「教会へどうぞ」と案内してくれた。
6、 恨み節の広島、自らを祭物として祈る長崎
「平和へのアプローチ」は長崎のように人々の苦難を喜んで引く受け、罪びとの赦しを請うキリストの精神から始まるのではなかろうか?
今回の国際平和文化フォーラムの主眼は広島市長、長崎市長にノーベル平和賞を授与する運動を広めることであった。今回、両市からの後援、両市長からメッセージも頂いていた。
核全廃のムードが急速に高まる中、両市長にノーベル平和賞受与も決して夢物語では無い。ノーベル平和賞を受賞するに値する質の高い平和運動をするために両市に一層の奮起を促したい。
長崎には縦的、天に向かう祈りの心を、一切の過去の恨み恨みを清め、恩讐を愛する真の愛の運動を展開することを期待したい。これは超宗教的文化運動であろう。
広島には、二度と原爆の悲惨を繰り返さないとの硬い決意のもと、世界へ連なる核廃絶の輪を広げることを願う。これはより政治的、ジャーナリスティックなものとなるであろう。
7、小生、アルツハイマー症状と思えるできごとに遭遇している。日々多くの老人を見ている介護士からも典型的な初期症状だと忠告された。
海外ではパスポートを紛失、国内でも鞄や鍵、携帯、乗車券を落したり、今回も、熱湯被り右半身大火傷、8月8日の夜にはデジタルカメラのボタンの操作を誤り、すべてのデーターが一瞬にして消えてしまった。
幸いにもこれらの失敗のほとんどすべて復活の奇跡に出会っていますが、これを通じて小生が悟ることは何か?
「リセット」:いつでもゼロになって再出発することです。
今回、カメラの写真データーがすべて消えても、半身火傷にあっても被爆した人々に比べれば何も無いこと、被爆された方々の痛みはどれほどであったであろう!一瞬してすべての環境が消えてしまったショックはどれほどであったであろうか?
アルツハイマー初期症状の小生が動けるのも後何年は知れません。残る地上生活、一心不乱、萬生懸命、為に生きたいものです。特攻隊の若者には行く道しか無かった。われわれには帰り道は無いかも知れないが、帰り道の可能性、希望がかなりある。今回の旅はそれを時間した旅でした。
余生を特攻精神でがんばろうと決意を固める次第です。
平成22年8月11日
67歳の誕生日を前に鳥取にて 大脇 準一郎
* 一行は8月2日東大で共同通信、8月3日京都では京都FMラジオカッフェ、8月5日、6日には広島で、7日、8日には長崎新聞からインタビューを受けました。
8月6日の朝日新聞大阪本社の号外一面には原爆慰霊碑に祈りをささげる一行がカラーで掲載されています。
挙国一致、国民が歓喜して迎えた2020年東京オリンピック招聘。いつの間にか国立競技場も壊されし、予算も当初の3倍、4倍と膨らんでいた。
ビジネスショ-化したオリンピックへ国民の感心も冷めている。それに比べ、7年前開催した「国際文化フォーラム」(POEM:Peace On
Earth , Tokyo)のことを思い起す。
まさに、精錬された内容、感動の連続であった。来日した国際会議運営のプロが 「少なくとも5千万はかかったでしょう!」との問いに対して、「2百万円」だったと聞いてとて も信じられないと言っていた。
万事金次第との最近の世相、なにか大切なものを見失っているのではなかろうか? 予算ゼロから出発したPOEMも、わずか7か月の準備期間であった。お金は極小であ ったが、それゆえ、皆が、自分ならではの智慧、才能、資金、時間、接待を持ち寄った。自己犠牲のボランティア精神の賜物であった、参加者の心に残る感動の催しであった 。 来る東京オリンピックが、物から心へ、個人の競争から共に生きる和への文明史的大転換点となり、日本の心、東洋の伝統が世界の人々に心に感動の渦を呼び起こす ことを期待したい。その願いを込めて、あえてこのサイトを再度アップするものある。
* 2010年8月2日東大駒場国際フォールでのフォーラムは3か国語同時通訳付きでDVDに残され、サイトからも視聴できます。