国際平和文化フォーラム・アンケート(8.2 東大駒場参加者)
1、.どのように案内を知りましたか
  友人61   グループ・団体11
2.、このような催しに参加したことがありますか。
 初めて187   数回ある267   平和フォーラムに参加することは、多い108
3、今日のテーマ・催しの感想・ご意見をお聞かせください。
 とても良かった176   良かった110   工夫が必要17
感想...
・いかに軍事費がムダであるかが 良くわかったので世界中に伝えたい情報の一つです。
・多数の国々の平和に対する姿勢を知ることができ とても勉強になったと共に刺激を受けました。
・地球で今起きている問題との係わりが欲しい。石油、食料、人口、水
・皆様が熱心に平和追求を感動でした。
・学者の先生と通訳が重なって、聞きとりにくかった。...女  学生
・TOSS代表の向山先生の紹介で、国際平和フォーラム、広島、長崎の取り組みを知りました。
  教師の一人としてできることを広島でやっていきます。
・素晴らしいことと思いました。
4.ノーベル平和賞広島・長崎をどのようにおもいますか。
 期待する67   期待しない7
 今後の企画についても提案をお聞かせください。
 ・広島・長崎だけでなく、日本という国は「平和」というものをもっと文化にまで高める必要がある
  と思いました。流行などでない人々の生活の中に平和というものを意識して取り入れていかな 
  ければ。一つ一つの家庭の中、一人一人の人間関係の中にどんな争いがあったとしても自己
  の感情の主張で終わらず(恨みで終わらず)和解を最終目的とする生き方を教育して欲しい。
  全ての争いは平和で終わる...という希望を人々がもてますように。
 ・ゴア、オバマさんの受賞以来 欧州の政治的 場 に利用されていると感じられるため期待
  しない。...男  77歳
 ・実現に向けてご努力により達成を祈ります。平和教育に感謝。...男 78歳
 ・私の祖母は被爆者です。私は被爆三世、教師として ノーベル平和賞受賞への取り組みをして
  いきます。...女 26歳 教師
 ・体験を通しての魂からの平和運動なしていることと、その後の復興のみごとさ、人類への愛を
  思うと大いに賛成。...女 61歳


「 平和を想う;東京・広島・長崎 」

    フォーラムを終えて(事務局一スッタフの感想)

残暑お見舞い申し上げます。

このレポート、2年ぶりに帰省した郷里の鳥取で書いています。昨日も猛烈な
暑さでとうとう、ペンを執ることができませんでしたが、今日は、最近の動き
の一端をお伝えできれば幸いです。

先日、8月2日(月)、東大駒場で200人規模の国際平和文化フォーラムが
開催されました。ノーベル平和賞を受賞されたE. カーン博士、ユネスコ平和
大使G. クレキー氏、M. ロベール氏ら11名の世界平和のために活躍する詩
人たちのスピーチで、参加費は一般千円、学生は無料と安価であったこともあっ
て、定員を超える申し込みが殺到、 一週間前からは参加をお断りしなければなら
ない状況でした。
またこれに先立ち前夜祭が催されました。この企画はM氏の提案によるもので、
奥土井美香さんの平和を唄うジャズヴォーカルと、水澤心吾さんの一人芝居と言い、
前夜祭にぴったりの内容でした。特に水澤心吾氏の杉原千畝をテーマとした
「6千人の命のビザ」の一人芝居は言語の障壁を超えて親族の大半がホロコースト
に遭遇されたカーンご夫妻の心を大きく揺さぶり、寸劇終了直後、水澤氏との
感動的な出会いの場となりました。

8月1日から8月9日までの10日間の内容を一々ご報告することは無理です
ので、その間に起こった感動的な出来事の一部を小生の感想を含めてお届けし
ます。

1、「命ある有精卵のみ、孵化する。」
  今回のキーマンは詩人、森井香衣さんでした。彼女の詩人としての平和へ
の命の叫びがあったればこそ、今回、国際交流基金を動かし、東大、国連大学、
世界的に著名な芸術家を動かし、大きな感動の渦を巻き起こしました。   
 無精卵にいくらエネルギーを投じても無駄です。命ある有精卵であってこそ
雛も誕生します。このことは先進国の福祉政策、発展途上国への国際協力に
おいても言えることです。 今回の「Peace on Earth」プロジェクトで素晴らしい
ポスター、ビラ、詩集、ロゴマーク入りのTシャツが生まれた。
 東京、広島、長崎での平和集会での詩人たちの詩を通しての世界平和への
メッセージ、またそれを盛り立てた芸能人たち(クリスタル・ボウル、インデアン
フルート等)の協力、実行委員を含めほとんどがボランティアであったので予算
が200万円で済みました。このような成果は、たとえば何倍もの予算があっても
得られない内容のものでした。(数か月後今回のイベントの概要を知った国際
会議のプロが5000万円はかかったでしょう!と真面目に聞いて額を聞いて驚
いていました。 

2、「思いがけない歓待」
  当初、地方までカバーするには予算が無いので、小生は東京だけで済ま
す予定でした。しかし、京都で接待をアレンジされたI氏が言語の問題もあっ
て小生を誘われました。出費からみれば冒険でしたが、日ごろからの氏の献身
的なご努力に鑑み、思い切って11人の一行に同行することにしました。  
 8月3日京都での夜、準備された宿は元伯爵家に6億円もかけてリフォーム
した純和風の豪邸でした。美しい庭園、茶室、大広間すべて貸し切りであった。
一部屋5.8万円、一夜だけでも40万円を下らない。小生、今までノーベル
賞学者を初め多くの要人をご案内したことがあるが、このような場所で接待す
れば、VIPは日本の心を瞬時に理解し、永遠に忘れることができないひと時とな
ることであろうであろう。 
 8月3日、この日がカーン博士の奥様、ミリアム・オルター氏の60歳の誕生
日であるとは、地方随行を突然決めた小生にとってその場で始めて知ったことでした。 
 ホテルのオーナーの配慮でその日のためにバースデーケーキ、心のこもったお祝い
の品も準備されていました。上品なバーも備えられており、バーではジャズを楽しめる
ようになっていました。同席したクレキー氏は世界的にも著名なオペラ歌手であり、
誕生お祝いの歌を唄うと、ジャズの大好きな和服姿の女将がジャズのCDコレクションを
取り出し、英語、フランス語を駆使してしばし、ジャズの話にも花が咲きました。

思いがけない心のこもった歓待に、ミリアムさんは「生涯忘れることので
きない思い出となりました」ご主人のカーン博士も「永遠に忘れることの
できない一夜でした」とお礼の言葉を述べられました。心から喜びに満ち
たご夫婦のお姿を拝見し、ホロコーストで惨殺された数多くのご親族の長
年の恨が解放され、その方々の笑顔が空中に浮かぶような平安なひと時でした。
歴史上、恨を残して他界した多くの霊を慰める最高の方法は、イデオロギー、
宗派、国境を超え、今日のように後孫が心から喜ぶような平和で幸福な環
境を作ることであると痛感しました。

3、広島でも思いがけない歓待に遭遇しました。
 8月5日、広島の全日空ホテルでマツダ、ある会社オーナーとそのご令
嬢ご夫妻の歓待を受けました。実は200着のロゴマーク入りのTシャツはこ
の社長が寄贈くださったものであり、社長は被爆者の1人であることもそのと
き初めてを知りました。
 その日の夜、30名に膨れ上がった一行全員を詩を通
じて平和運動をされているご夫人がご自宅に招待下さった。主人は元広島大学
小児科医、現在は心身症患者の病院の院長
であるとのこと。優に300坪派超える
和風のヒノキ造りの大邸宅、30人を収容しても余りあるゆったりした空間。詩人で
あるもご子息の司会で始まったホームパーティー、詩の朗読や歌も披露され英語、
フランス語、スペイン語、ヘブライ語の飛びかう交流の場であった。一流フラン
スレストランのシェフがその場で調理をし、フランス料理、寿司も超上等であっ
た。奥様が茶室で一人ひとりにお茶を立てて下さったので帰りは夜11時を回っていた。

4、長崎でも某社長が一行を歓待される予定であった。社長が急遽、県外
出張とのことでこれは実らなかったが、多くの人々の真心に応え8日長崎での
最後の夜、小生は思い切って一行全員を由緒ある中華料理店にご招待した
日本人のメンバーだけ自発的に千円づつカンパしてくださったので幾分かは助
かったが、自らを犠牲にしても“為に生きよう”とする同行したスタッフ達の心粋は
海外参加者に十分伝わったようだ。カーン博士からもエルサレム市を描いた
銀の飾り物を頂いた。 

5、今回の国際平和文化フォーラムのメインテーマは「平和への
新しいアプローチ」
であった。
8月6日、広島での慰霊式典には今回始めて、国連事務総長、かつて敵国で
あった米国、英国大使も出席した。小生は式典直後の国連事務総長の記念
講演に参加していたが同行していた一行のスケジュールと重なるため、途中
で退席せざるを得なかった。一行は既にユネスコが紹介した平和フレンドシップ
センターに行っていたが、一行は長々と被爆者の証言を長い時間聞かされていた。
話の重さと、日中の暑さのために何人も体調を崩し、その場を退席せざるを得ません
でした。広島で最初に訪問したのは原爆資料館であった。長崎での最初の訪問地
大浦天主堂であった。天主堂でクレキー氏がアベ・マリアを奉納した。8月9日、
長崎での慰霊式典では、長崎市長、菅首相らのメッセージはあったが海外からの
メッセージは無かった。同じ時間、浦上天主堂ではおごそかなミサの真っ最中で
あった。毎年同じ形式的式典、数多くの人々がそれぞれの思いを込めて長崎に集
まっている。これで良いのだろうか?政府や自治体の主催の行事にはなぜか「心が
無い、命が無い、感動が無い」と感じられるのは私、一人であろうか?8月9日
早朝、小生は26聖人の殉教の丘を訪れ、お祈りした。若い神父が「教会へどうぞ」
と案内してくれた。

、原爆の悲惨を訴える広島、自らを祭物として祈る長崎、

「平和へのアプローチ」は長崎のように人々の苦難を喜んで引き受け、罪びと
の赦しを請うキリスト精神、恩讐を超えた愛の心から始まるのではなかろうか?
今回の国際平和文化フォーラムの主眼は広島市長、長崎市長にノーベル平和賞
を授与する運動を広めることであった。今回、両市からの後援、両市長からの
メッセージも頂いていた。核全廃のムードが急速に高まる中、両市長にノーベ
ル平和賞受与も決して夢物語では無い。ノーベル平和賞を受賞するに値する質
の高い平和運動を推進するために両市に一層の奮起を促したい。
 広島には、二度と原爆の悲惨を繰り返さないとの固い決意のもと、世界へ連な
る核廃絶の輪を広げることを願う。これはより政治的、ジャーナリスティックな
ものとなるであろう。長崎には縦的、天に向かう祈りの心を、一切の過去の恨み
恨みを清め、怨讐を昇華して真の平和運動を展開することを期待したい。これは
超倫理的文化運動であろう。広島、長崎市のイニシアティブで2020年までに核廃
絶、平和に満ちあふれる文化が花開くことを期待したい。

7、小生、アルツハイマー症状と思えるできごとに遭遇している。日々多くの
老人を見ている介護士からも典型的な初期症状だと忠告された。
 海外ではパスポートを紛失、国内でも鞄や鍵、携帯、乗車券を紛失したり、落
したり、今回も、熱湯を被り、右半身大火傷、8月8日の夜にはデジタル・カメラ
のボタンの操作を誤り、すべてのデーターが一瞬にして消えてしまった。幸い
にもこれらの失敗のほとんどすべての復活の奇跡に出会っていますが、これを通
じて小生が悟ることは何か?「リセット」、いつでもゼロになって再出発する
ことです。
 今回、カメラの写真データーがすべて消えても、半身火傷にあっても被爆した
人々に比べれば何でも無いこと、被爆された方々の痛み、一瞬にしてすべての
環境が消えてしまったショックはどれほどであったであろうか?
 アルツハイマー初期症状の小生が動けるのも後、何年かは知れません。残る地
上生活、一心不乱、萬生懸命、“為に生きたい”ものです。特攻隊の若者には
行く道しか無かった。われわれには、帰り道のある可能性がかなりある。今回の
旅はそれを実感した旅でした。余生を特攻精神でもっとがんばろうと決意を固め
た次第です。

 最後にこのように八方破れの小生の行動を支援してくださった皆様に心より感
謝申し上げます。47年前決意した「心の仲人」の役割が果たされつつあること
にふと気がつくこの頃です。薩長同盟を実現し新しい時代を切り拓いた龍馬の
ように、人と人の心を繋ぎ、何らかの時代的役割を果たすことができればと考
えています。今後とも、相変わりませず、ご指導、ご鞭撻の程、よろしくお願
い申し上げます。                           
                 以 上

平成22年8月11日 67歳の誕生日を前に
          鳥取にて           大脇 準一郎

*一行は8月2日東大で共同通信、8月3日京都では京都Mラジオカフェ
8月5日、6日には広島で、7日、8日には長崎新聞からインタビュー
を受けました。8月6日の朝日新聞大阪本社の号外一面には原爆慰霊
碑に祈りをささげる一行がカラーで掲載されている。

ラジオカフェFM京都 
  2010.08.24「 ハイチ・メキシコから平和を語る C. P. Charles ,L. H. Mnos さん
 
 2010.08.17 「フランス平和文化の使者、ギー・クレーキーさんに聞く」  
 
 2010.08.03 「広島・長崎にノーベル平和賞を!」イスラエルE.カーン博士
 
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