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平成17年度 高齢社会研究セミナー報告書
「老いるショックは3度来る」江見 康一 (一橋大学名誉教授、 武蔵野市シルバー人材センター会長、 生存科学研究所理事長) |
〈講演要旨〉 人生90年時代を迎えた現在、長くなった老後をいかに生きがいをもって暮らすかが問われている。初めての老いの徴候に気づくのは、人生マラソン・レースの折り返し点である45歳頃で、この時の衝撃が第1次老いるショックである。その時改めて老後の生活設計が求められるが、それは老後の3段階(初老・中老・高老)に見合ったものでなければならない。すなわち、初老では雇用開拓、中老では年金の支え、高老では医療・介護への依存である。 |
高齢期を三段階に分ける
只今ご紹介いただきました、江見でございます。
先ほど堀田さんから「生きがいの実感」ということで、最後に「若者にも増して、きびしい生命の充実への挑戦が必要である」と自分の考えをおまとめになりました。私は3年前、81歳のときに、忠臣蔵の早駕籠に挑戦しようと東京から赤穂までを自転車で走りましたので、この挑戦は、堀田さんの言葉につながるのかなと思います。東京新聞から取材を受け、「にんげん賛歌」(2005年6月7日夕刊)に載りました。新聞が出た日の夜に女性から「最後の5行の言葉に共鳴しました」と電話がかかってきました。最後の5行には「老いらくの恋とはいかないまでも、老いのときめきは必要です」と書いてあります。老いらくの恋とまではもういきませんが、いつもときめきやロマンや夢を持って暮らしているのが私の人生です。
今日の私のお話のタイトルは「老いるショックは3度来る」です。今年の1月に『老いるショックは3度来る』という本を書きましたので、今日はこの本の中身をお話しします。
思い出せば、昭和48年の秋にオイルショックが起こりました。昭和48年10月6日に第4次中東戦争が起こり、アラブ諸国はアラブに敵対する国には石油を売らないと、供給を制限した途端に、それまで1バレル3〜4ドルであった石油の値段が3倍の11〜12ドルに上がってしまったのです。これが世にいう「石油ショック」です。そこで私は、高齢化社会について講演するとき、この石油の"オイルショック"を、年を取る"老いるショック"に応用することにしました。
と申しますのは、昭和48年は石油のオイルショックが始まった年ですが、同時に70歳以上の老人医療費の無料化が、国レベルで政策決定された年でもあるのです。そのとき私は、高齢化がどんどん進んでいくなかで、70歳以上のお年寄りの医療費を無料化すれば医療費は底なしに増えるのではないかと、心配しました。当時私は一橋大学で社会保障と財政の講義を持っていたので、国レベルでの財政を考えて心配したわけです。
昭和48年9月15日の敬老の日に、私は高齢化に関するNHKの朝の特別番組に出演しました。時の厚生大臣も一緒に出演しており、「今年は医療費の無料化や健康保険法、年金法の一部改正など、いろいろな国民福祉対策をしたので、昭和48年は福祉元年と言えます」とおっしゃったのです。私は先々の財政負担を考えて「そんなに大みえを切っていいのかな」と思ったのですが、健康保険法、年金法のそれぞれ一部改正は9月末に国会を通過しました。そして、その1週間後に第4次中東戦争が始まったのです。このようなこともあって、私の頭の中では"オイルショック"と"老いるショック"が両方絡めた形で記憶されているのです。
皆さんは、自分が年を取ったなとどういうときに思われますか。私が高齢化社会を身につまされて感じたのはこういうことです。
私の大学の恩師の白寿(99歳)のお祝いに友だち2人と一緒に先生のお宅に伺いました。先生はおこたに入って煙草をゆっくりくゆらせながら、「今、娘がお茶を入れますから」とおっしゃったのです。娘と聞いた途端に、こちらはある種の期待感を持って、娘さんの入ってくるのを今や遅しと待っていたわけです。
ところが襖のかげから出てこられた娘さんというのは、白髪の品のいいおばあさんでした。よく考えてみれば、白寿のお父さんに76歳の娘がいてもちっともおかしくないわけです。「今、孫がおつまみを持ってきます」といって出てきた孫は48歳の奥様風の方でした。だから白寿のお父さんに76歳の娘がいて48歳の孫がいる。これは当然のことなのですが、どうもわれわれは娘と聞いた途端に、初々しい花も恥じらうお嬢さんを頭の中に描くわけですが、私のそのような考え方は打ち砕かれ、ハッと現実に戻されたわけです。その途端に、「ああ、これが高齢化社会なのだ」と実感しました。高齢化社会は、娘とか孫というイメージをすっかり変えてしまったのです。
白寿のお父さんに76歳の娘さんがいるということは、老後が非常に長くなったということです。やはりこれは大変なことで、長くなった老後をどのように生きがいを持って過ごすかということが、高齢化社会の大きな問題だと思ったのです。
ちょうど私が高齢化問題を研究していた昭和45(1970)年に、日本の65歳以上人口が総人口の7%を超えました。7%を超えるとその国は高齢化社会の仲間入りをするということになりますから、昭和45年は日本の高齢化元年なのです。
この年の9月15日の敬老の日に、東京の日比谷公会堂で「豊かな老後のための国民会議」が、皇太子殿下(今の天皇陛下)のご臨席を仰ぎ、時の佐藤栄作首相が全体の会を取り仕切って開かれました。私は学識経験者として招かれ、「高齢化にどう立ち向かえばいいのか」と聞かれましたので、「人生50年、60年のときは、平均寿命は短く、お年寄りの数も少なかった。しかし人生70年時代になり、平均寿命が伸びてお年寄りの数も増えるようなときに、老人問題という形で老人をひとくくりにとらえていいのか」と申しました。
そして、ちょうど若い人たちを「幼年期」「少年期」「青年期」と3段階に分けるように、お年寄りも55歳から64歳までを「初老期」、65歳から74歳までを「中老期」、75歳以上を「高老期」と、3段階に分ける必要があると提案しました。当時の会社の定年年齢は55歳だったのです。
なぜこのような分け方をするかというと、それぞれの年齢段階でのニーズ、その年齢の方にとっていちばん大切なことが違うからです。初老期はまだ元気で働けますから、中高年の方々への新しい職場の開拓、雇用の再開発がいちばん大事なことです。ところが中老期になるとだんだん体が弱ってきますから、重労働から軽労働に変わるとか、あるいは労働時間を短くするということが必要になります。労働時間が減れば所得も減りますから、中老期にとっては公的年金が非常に重要になりますので、中老期の保障としては、公的年金の充実が非常に重要になってきます。さらに高老期になると、病気がちになり医者通いが増え、あるいは杖をついたり車イスの生活をしたり、人によっては寝たきりになる。このようなときにいちばん大事なのは医療と介護なのです。
ですから、「老人といってひとくくりにするのではなく、老後の進みに従っていちばん重要なことを考えるのが社会保障である。初老期の雇用、中老期の年金、高老期の医療・介護。これらを総合的に体系化するのが高齢化社会の社会保障である」と私は発言しました。これは非常に分かりやすいと、皆さんの好評を得たのです。そのときに書いたのが右の図です。これは早速、高等学校の社会科の政治経済の教科書(『高等学校社会科用・改訂政治経済』(東京書籍)昭和60年)に掲載されました。
「初老期」「中老期」「高老期」にはそれぞれ、「フレッシュオールド」「ミドルオールド」「シニアオールド」と英語で表現しました。私は今、シニアオールドの真っただ中で、老いを非常に楽しんでいる最中です。そして、最近第4段階を付け加えました。第4段階は「超老」、「スーパーオールド」と名づけたのです。私はまだスーパーオールドには行っていませんが、まもなく私の視野の中に入ってきます。
(かんき出版)P.49 |
老いるショック
私は最近、人の名前がなかなか出てこない、駅の階段を上るのがちょっとつらくなったり、よく忘れ物をするようになりました。買い物をして、お金だけ払って品物を置いてくる。慌てて店員さんに追いかけられるようなことがあると、ああ、自分も年を取ったなと思います。皆さん方は自分が年を取ったなと、どういうときに思われますか。
朝、起きて洗面台に立ち、鏡に映った自分の顔をしげしげ見たときに、白髪や目尻の小じわや頬のたるみなど、忍び寄る老いの足音、老いの兆候に気づいて愕然としたというような経験はありませんか。そのときの愕然とした衝撃を、私は「老いるショック」と名づけたのです。
皆さんも「老いるショック」を感じられることがあると思います。この本の中でそのことを書いたら、ある読者の方からお手紙をいただきました。「私も朝、洗面台の鏡を見て老いるショックを感じました。鏡に映った顔が65歳で亡くなった自分の父親にそっくりだったので、鏡に映った自分に向かって思わず『お父さん』と言った」そうです。これには私はすっかり笑ってしまいましたが、そういう人はいますよね。
ところが、老いるショックは1回で終わるのではないのです。健康のほうから申しますと、顔や髪の毛に老いの兆候が見えてくるのが第1次老いるショック。病気のほうで申しますと、ガンの中ではいちばん早いのが胃ガン、乳ガン。あるいは骨粗しょう症が早めに出てきます。それから糖尿病、腎臓結石、心不全が出てきて、それから前立腺肥大、すい臓ガン、肺ガン。それから白内障の手術。私の経験からいっても、うまく10年おきぐらいにそういう病気が襲ってくるわけです。最後は、耳が遠くなったので補聴器をつけるとか、あるいは歯ががたがたしてきたので入れ歯を入れるとか、そういったようなことが第3次老いるショックなのです。
「老いるショックは3度来る」というのは、第1次老いるショックが終われば2次が、2次が来たら3次が来るのですよ。その3つの老いるショックを、皆さん、乗り越えようじゃありませんかという呼びかけなのです。私は幸いなことに、3度の老いるショックをクリアしてきました。東京から赤穂まで自転車で走ったというのは、第3次老いるショックまでをクリアできたからこその話です。
老後への持参金
しかし老後生活にとって大切なのは健康問題だけではありません。もちろん健康が第1ですが、老後の備えには、健康の他にも長い老後を暮らすための生活費をちゃんと準備しておかなければいけません。皆さん、長生きはただでできると思ったら大間違い。長旅にはやはり路銀がいるのです。だから長い人生、老後の旅をするためには、それなりのお金、経済の準備をしなければいけません。それを私は「老いるマネー」と呼んでいます。訳して「養老貯蓄」です。
「老いるショック」と「老いるマネー」は対で出てきた言葉です。石油のオイルショックのときに、オイルマネーという言葉が出てきました。なぜならば、中東産油国に世界中からお金が流れ込み、それがそのときの国際通貨の流れに大きな影響を及ぼして、それをオイルマネーと呼びました。そこで私はすぐそれを老いるに引っかけて、老いるショックと老いるマネーと対で援用をしたわけです。
私は皆さんにこう言っています。「第1次老いるショックを感じたら、すぐに老いるマネーの準備に手をつけてください。さもないと、あなたの老後は『老いの細道』になりますよ」と。つまり老いの細道にならないためには、第1次老いるショックを感じたら、すぐに老いるマネーの準備に取りかかってください。当時のお金で1か月5万円ずつ貯金すれば、当時の利子で複利計算すると、私の計算では、10年で1000万円になったわけです。定年のときに1000万円あったら、どんなに老後は安心でしょう。もう子供たちの教育費のピークも終わり、家のローンも支払い終わった。退職金もそこそこもらえるかもしれない。そのときに老いるマネーが1000万円ドーンとあったら、こんなに心強いことはありません。だからやはり第1次老いるショックを感じたら、すぐに老いるマネーの準備に取りかかってくださいというのが私のアドバイスです。
それともう1つは、生きがいの問題です。さっきの堀田さんのお話にもありましたように、やはり夢とかロマンを持って、若い人に負けないような志を持たなければならない。生きがい、ロマン、夢。それを私は「心の張り」という言葉で表しました。なぜ心の張りとしたかというと、3Kということを言いたかったのです。つまり健康(体)、経済(金)、最後の心の張り。素晴らしい老後の生活を送るためにはこの3Kが必要です。この3つが揃ったときに、はじめてその人の老後は充実したものになります。
私はこの3つを合わせて「老後への持参金」と名づけました。これもいい言葉でしょう。その人の老後が充実したものになるかどうかは、いつにかかって老後へ持参金をどれだけ持ち越せるか。このことが、その人の人生が充実するか、しないかの岐路になるわけです。それには若いときから長期的な計画を立ててやっておかなければなりませんから、「老後は1日にして成らず」と申し上げたわけです。
やはり健康は生涯資本です。健やかに老いるという言葉がありますが、健やかに老いる前には健やかに働いていないといけない。健やかに働く前には健やかに育っていなければいけない。そもそもこの世の中にオギャーと生まれてくるときに、健やかに生んでもらわなければいけない。健やかに生まれ、健やかに育ち、健やかに働き、そして健やかに老いる。そして、健康は生涯資本だと私は思っていますから、あまり若いときに無茶な生活をすると、それが年を取ってから出てくることになるわけです。
それからお金は、今言ったように、第1次老いるショックを感じたときからそれなりの準備をしなくてはいけない。この本の中には、自分の持っているお金をどのように分散して蓄えているかについて書いています。普通預金に何%、定期預金に何%、そのうち外貨定期に何%、投資信託、株式、保険、簡易保険、国債というふうに、どのように分散したらいいのか、お金の蓄え方と持ち方を書いています。これが老いるショックの中の老いるマネーの話です。
それから第3番目は心の張りです。やはり若いとき、現役のときから、自分の趣味とか特技をしっかり身につけておくことが必要です。釣り仲間、マージャン仲間、ゴルフ仲間、あるいは旅行仲間、写真同好会、いろいろあると思いますが、それを現役時代のときにやっておかないといけないわけです。60の手習いということもありますが、年を取ってからではなかなか身につかない。若いときにやっているからこそ身につくわけです。そういうものが身についていれば、老後になっても孤独になることはないわけです。いつも友だちがいるから、声をかけ合うことができます。
特にその中でもいちばん大事なのは、よりよき人間関係を培っておくこと。こういうようなお話はあの人に話せばきっと聞いてもらえるといったような心の友というか、本当に信頼できる友を、現役のときからその心構えで培っておかなければならないと思うのです。そういう人間関係はそれこそ一朝一夕にできるわけではありません。都合が悪くなったときにだけ友達になってほしいといっても駄目なので、やはりお互いに苦労し合って、お互いに助け合って、それでやっと本当の意味の人間関係ができるわけですから、そういう人間関係をやはり老後に持ち越すことが大事なのです。
健康と老いるマネー(養老貯蓄)と心の張り。その3つの持参金を持って老後を迎えてくださいというのが私の考えです。老後への持参金という言葉は、自分ながらいい言葉だと思っています。加藤シズエさんと座談会でご一緒したとき、老後への持参金というお話をしたら、「とてもいい言葉ですね」と褒めてもらいました。それ以来、私は、老後への持参金という言葉をしょっちゅう使っているのです。
老後をいかにして過ごすか
要するに長くなった老後を、どのように生かして使うかということによって、その人の人生がまるで変わったものになるのです。堀田さんのお話にもありましたように、人生50年時代の余生を送るというような気持ちで過ごしてはいけないのであって、やはり50代、60代、70代、80代と進むに従って、ものの考え方あるいはライフスタイルを徐々に調整しながら、人生の仕上げをいかに見事に終えるか。結局、老年期というのは人生の仕上げをするときですから、ある意味で、老後の過ごし方は一種の芸術です。いかに自分の人生の最後を全うするか。これにはやはり日頃からの準備、心構えが必要です。年とともにものの考え方、ライフスタイルを変えて、そしてよりよき人生を全うする準備をするということです。
つまり老後といっても、決して一筋の平坦な道ではありません。ところどころに曲がり角があり、山あり谷ありといったことがあります。関所もいくつもあります。第1次老いるショック、第2次老いるショック、第3次老いるショックは1種の関所ですから、その関所をうまく乗り越えて最後のゴールにたどり着かなければなりません。
例えば還暦という言葉があります。それから70歳の古希、77歳の喜寿、80歳の傘寿、88歳の米寿、90歳の卒寿、それから99歳の白寿。こういったものは、よりよき老後を過ごしていくための一種の目印だと思うのです。還暦になった、さあ、どういうふうに心をうまく切り変えてこれからの生活を営んでいこうかと考える目印が、還暦であり、あるいは古希であり、喜寿であるのだと思うのです。
私は傘寿を超え、現在84歳です。84歳は、傘寿と米寿のちょうど真ん中です。今の私の目的は、何とか米寿まで生き抜きたいということです。そうしたらこの本を読んだ人から、「江見さんは、これを読む限りでは100歳まで大丈夫だよ」と言っていただきました。しかしいきなり100歳と欲張ってはいけません。とりあえず米寿までは長生きしようと思っています。
しかし85歳というのは、やはり1つの区切りだと思うのです。昔から「60の坂、85の壁」という言葉があります。人生50年時代は60の坂に到達するのが目標だったのですが、寿命が伸びたので85の壁という言葉ができたのです。私が大学で教わった先生は、ほとんどみんな85歳になる前に亡くなりました。自分の教わった恩師の年に自分が到達したから、恩師を乗り越えよう。そのためには85の壁を越えなければならないと思っています。
そして85歳になったらどういうことをしようかということを、今、心の中で考えています。まず第1番目、もう外国旅行には行かない。ヨーロッパと日本との10時間の飛行は、エコノミークラスでなくても大変です。私はこの8月にオーストラリアに行くのですが、これを最後に外国旅行はやめる決心をしました。第2番目は、車の運転をやめる。年齢とともにやはり反射神経が鈍ってくるのです。自分は大丈夫だと思っていても、交差点などでパッと人が出てきたときにとっさに対応できないことになります。私の娘も高齢者の事故が多いことを新聞で見て、「お父さん、来年からは車を運転するのをやめてね」と言ってきましたので、その忠告を聞き入れねば、と思っています。
それから第3番目は、惰性で行っているような虚礼はできるだけやめる。例えば年賀状でも、たくさんいただきますが、その相手が誰だか分からないことがあります。私のように55年間も学校の先生をしていると、いつどこで教わったということを書いてくれないと、全然分からないわけです。だからどのように返事を書いていいのか分からない。ただ惰性で行っている虚礼はたくさんあると思うのです。ですから、家族や親族あるいは特定の人を除いては、年賀状は85歳になったらやめると決めています。
それから1年先の契約はしない。証券会社などから、「3年ものの投資信託でいいのが出ていますから、いかがですか」と電話がかかってくるのです。そういうときに私は、「1年先のことは考えません。1年先の契約、予約はいっさいしません」と言って断るわけです。そう言えば相手も納得します。
それから死ぬまでに、自分のためたお金は全部使い切る。こういうことを考えています。一生懸命に働いてお金をためて、それをあの世に持っていけるわけではないでしょう。下手に残すと遺産相続の争いなどが起こるから、自分がためたお金だから自分の人生の楽しみのためにきれいさっぱり全部使い切るのが、本当のお金の使い方ではないでしょうか。葬式の費用ぐらいは残しておきますが、それできれいさっぱり。息を引き取った瞬間に貯蓄残高がゼロになる。これが私の美学です。これを是非実行しようと思っています。
ですから今はもうためる段階ではないわけです。ある段階から、ためる段階から使う段階に切り換えなくてはいけない。それを過去の惰性で、使わない、金を後生大事に持っている、そんな人生なんてつまらないじゃないですか。自分の楽しみのために、人生の充実のために、どんどんお金を使う。皆さん方は、使う段階に来ている方がずいぶんいらっしゃると思うのです。だから大いに自分の人生の充実のためにお金を生かして使うことが大事だと思います。
そういうわけで私は今お金を使う段階に来ていますので、皆さん方が私を町で見かけたらちょっと声をかけていただくと、コーヒー1杯ぐらいはおごりますから、声をかけていただきたいと思います。
要するに「老いるショックは3度来る」というのは、年の進みに応じて自分たちの生き方を変えていきなさい。いつまでも昔の人生50年時代の惰性のままで生きていたのではいけませんということで、この本を書いたわけです。この本の考え方が少しでも、皆さんのご参考になればと思います。私の話はこれで終わらせていただきます。
〈略歴〉
一橋大学、帝京大学名誉教授 財政学 経済学博士
1921年兵庫県生まれ。1952年東京商科大学(現一橋大学)卒、一橋大学教授、同経済研究所長を併任、1984年帝京大学経済学部教授、同経済研究所長を併任。
現在は、財団法人生存科学研究所理事長、武蔵野市シルバー人材センター会長、他。
主な著書:『財政支出』(東洋経済新報・日経図書文化賞特賞)『社会保障の構造分析』(岩波書店)『貯蓄と通貨』(東洋経済新報社)『医療問題の経済学』(日本経済新聞社)など。近著には『老いるショックは3度来る』(かんき出版)。
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