第17回地球市民フォーラム「美と人生」(1)

美を愛するところから起こる芸術は、人間存在の質を高めるものであり、人生
の喜びと、静穏の感覚を与える力がある。貴い生き方は、美しい生なのである。
美は、人間の心情と精神の中に奥深く入り込み、人間のあらゆる気分を、だれ
でもが理解できるような感情や洞察や感覚的体験に誘ってくれるものである。
美のなかでは他人というものはいない。人間の魂に深く入り込むほど、自分が
他の国の人びととも、ひとつになっていることに気づくのである。美によって
こそ私たちは、人類のすべての人びとと理解し合うことができるのである。
 ドストエフスキーの謎の一句「美は世界を救う」と……。

日時:平成23年2月26日(土)午後2時〜4時

場所:PAG赤坂(Premium Art Gallary)

主催:地球市民機構 協賛:PAG赤坂 

プロフィール:松山市出身,イタリアントマトを始め、世界180ヶ国のシンボルマークを作成,洋画/日本画を学ぶ。デザインは生活文化/企業文化の創造に重要。生命・地球・社会的価値重視のデザイン美学を展開。

NPOキーパーソン21・理事、地球市民機構常務理事、NPO・グリーンライフ推進機構・理事、アジアパシフィック・ビューティコンテスト審査委員他

美と人生(1)メモ抜粋

 本当の美の発見。真に生きるとは。
 ドフトエフスキーが書いたこと、「美は世界を救う」は気まぐれな言葉ではな
  く、予言となるのではないか。美に対する関心がない世界は、救われる値打ち
  はない。
 美のために生きて、美のために滅ぶ。美をめでるギリシャ人。内面の自己自
 身のために戦った。「アレテー」(魂のすぐれてあること、人間としての善)
 という概念は、すべてのギリシャ人がなにものにも優先させ達成させようとし
 た徳の中心があった。ギリシャ人は自分たちをヘレネ人と呼び、その土地をヘ
 ラスと呼んでいるのは、ヘレネ(美の神)がギリシャ魂のシンボル的な存在で
 あることを示している。ミケランジェロ:どん底の中で、あれだけの作品を残
 している。貧乏や苦労の中でピエタを彫り、献身のヨセフこそミケランジェロ
 自身であり、自己の墓碑として刻んだ。そして絶望を超克し、永遠の美の力を
 解放した。

 世界的業績を残した100人の中に、日本人として葛飾北斎一人が選ばれた。
 貧乏と引越しが人生の伴侶のような生き方で、死ぬ間際まで常に新たな画法
 を探り、多彩な名作を残した。
 バッハの生涯:その心を打つ謙遜さと、自己の与えられた使命についての確信
      ;落ち着いた誇り高さとの結びつきであろう。
  小市民的な日常生活の狭さ、貧しい生活の外的条件も、彼の芸術創造
  を圧倒し去ることはなかった。深い感動に裏打ちされた信仰からあふれる
  生命愛そのものだった。「彼にとって音楽は礼拝である。バッハの芸術精
  神と人格は、彼の敬虔さを基底としている。・・芸術は彼にとって宗教で
  あった」
 モーツアルト:しばしば借金の申し込みをするような生活だった。
   精神的な喜び、美と悲しみは、相伴う。芸術の力によって、極限状態に
   ありながら、「人生は美しかったし、一生はなんと幸先良く咲いたこと
   でしょう!」と言ってあれだけの作品を残した。

 バイロン:「逆境は真実に至る第一の径である」
 西郷隆盛:「貧困は偉人をつくり、功業は難中に生まれる」 
 レオナルド・ダビンチ:「大いなる苦悩なくしては如何なる完成させる能力
       もありえない。純金は火によって精錬されるのだ」

 多摩の少年院に講師として呼ばれたことがある。
犯罪を犯す少年たちは、恵まピエタれた子供が多い。希望をもち、勇気をもっ
て戦えために,マ−クトゥエインの話をした。彼は作家になる前,学校行くのは嫌
いで、専らミシシッピで遊んだ。意識が変わるのは、父が死去してからだ。母
は、彼を印刷会社の丁稚奉公に押し出した。食費だけは手当てしてくれるが、
給料はなかった。2年目、町で飛んできた破られた本の1ページを読む機会が
あり、ジャンヌ・ダルクを知る。ただ使命に燃えた少女が立ち上がり、幽閉され、
かわいそうな最後を遂げたという。しかし、彼はジャンヌ・ダルクについて何
一つ知らなかった。なぜジャンヌ・ダルクは立ち上がり、非業の最期を遂げなく
てはならなかったのか。それが知りたいから、図書館に通い、人生が変わった。
そして作家になって「トム・ソーヤの冒険」が誕生した。

聞(求道、勉学の第一歩)、信(信用、信頼)、戒(律するものがないと悪道
に入る)、定(信念、忍耐力、不動心)、進(進歩向上)、捨(エゴを捨てて
利他の精神、執着するな)、懺(ざんげ、反省の自我、新しい希望・決意)、
この7つの宝は誰にも在る


 こうしたことを少年院で話した。すると一人の少年から手紙をいただいた。

 「人間は、いつ運命が変わるか分からないと先生は言っていましたが、その
言葉を聞き、なんだか勇気が出てきました。たった1つの出来事で人生がよく
なった人が一杯いることを聞いて、僕も、その1人になれるのではないかと、
夢を持ち、又は希望を持ちました。しかし、そのためには、僕自身が人のため
社会のために生きていかなければいけないと思いました。そうすれば、絶対最
後には自分に戻ってくることを信じています。今は少年院生活ですが、社会に
戻ったら、家族のため人のため社会のために思いやりを持って生きていこうと
思います。人生は、どうなるか分からないことは、すごく不安なことですが、
いつでも前向きに、強く生きて行きます。今日、一色先生から学んだ七宝をい
つまでも心に残して、僕の宝物にします。」と書いてあり、びっくりした
。 出所後、社長になった人も、「目覚めてスタートすることができ、自分の
人生を変えた母校だ」といって少年院を再訪した人も居たたが、胸を打たれた。

 ドフトエフスキーは言った:「美しい神聖な思い出こそ、最良の教育である」

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