日本にとって二重の悲願達成 ≪原子力eye 9月号≫2009年8月12日
天野之弥大使のIAEA次期事務局長選挙当選は、二重の意味で日本としての悲願達成だった。
第一の意味は、国連安保理常任理事国入りを早期に実現し、国連機関のトップの座を最低ひとつ常時確保
するのが外務省の基本方針で、それに沿っていたことだ。日本の分担金比率は、国連本体はじめすべての
機関で米国に次いで第2位だが、プレゼンス(存在感)はうすい。安保理常任理事国になり、事務局長を取れ
ば格段に目立つ。
前者はまだ実現していない。国連機関のトップは現在、松浦晃一郎氏がユネスコ(国連教育科学文化機関)
事務局長の任にあるが、今年11月に二期目の任期を終えて退任し、あとはゼロになる。天野当選は辛うじて
日本がトップの座を引き続き確保する意味をもつ。
もちろん確保してさえいればよいわけではなく、それなりの実績を挙げないとかえってイメージダウンになることも
ある。その意味でWHO(世界保健機関)の中嶋宏事務局長(1988−98年)は欧米諸国から無能のレッテルを
貼られ、不運だった。
現在、潘基文国連事務総長(韓国出身)の評判もかんばしくない。公私混同、優柔不断、リーダーシップ欠如、
コミュニケーション能力不足が両者に対する批判として共通している。欧米人の差別と偏見も根底にはある。
天野氏は専門知識と経験は申し分ないが、調整型すぎてリーダーシップに欠けるという指摘は立候補した昨年
9月以来つきまとっている。もって他山の石とすべきだ。
第二の意味は、原子力平和利用の推進という日本が得意とする分野の国連機関のトップの座をようやく射止めた
ことだ。日本がIAEA事務局長のポストを狙ったのは初めてではない。今回、二度目の挑戦でようやく悲願達成したのだ。
ブリクス前事務局長登場の背景
エルバラダイ事務局長の前任者ハンス・ブリクスは16年間(1981−97年)の在任中、数々の修羅場を乗り切り、
名事務局長の誉れ高いが、81年の理事会選挙で当初から立候補したわけではなく、今回のように投票で決着が
つかず、最後のドタン場でスウェーデンが担ぎ出してきたダークホースだったのだ。
ブリクス出現までは、西欧諸国が推すハンス・ハウンシルト(西ドイツ研究開発省次官)と途上国の支援を受けた
ドミンゴ・シアゾン(ウィーン駐在フィリピン大使)、それに日本が推す今井隆吉氏(日本原子力発電技術部長=当時)
が三つ巴の集票合戦をくり広げていた。決着がつかなかったのは、旧ソ連陣営がいずれの候補をも支持しなかった
からだが、決定的なのは米国の動きだった。
今井氏は東大理学部数学科卒ののち原子力工学を専攻した工学博士。ハーバード大学大学院、フレッチャースクール
法律外交大学院にも学び、まさに原子力、英語、国際法を身につけた申し分ない適材だった。シアゾン大使(現・駐日
大使)も東京教育大学(現・筑波大学)で理論物理を専攻、ハーバード留学の経歴の持ち主で反米ではなかったが、
途上国のIAEA支配を警戒した米国が猛反対して脱落した。
その後は日独対決となったが、今井氏も東海再処理をめぐる日米交渉を担当して辣腕を発揮したことからかえって
米国に敬遠され、3分の2を獲得するまでには至らなかった。ことほどさように、IAEAにおける米国の影響力は絶大である。
筆者はブリクス事務局長の下で3年間、広報部長を勤めたが、採用にあたってはワシントンに電話して「日本人を採用
するが、よいか」と事前の了解を取りつけるなど、気の使いようは並大抵ではなかった。IAEAこそは米国が提唱して
創設し、核拡散阻止のために米国が最も重視している国連機関なのだ。
外務省は前車の轍を踏まないように今回は米国の支持を早くから取りつけていた。今回の天野氏とミンティ候補
(南アフリカIAEA担当大使)の対決では、天野支持の先進国対ミンティ支持の途上国という構図が鮮明だった。
しかし3月の理事会では天野支持票は当選に必要な3分の2にわずかに届かず、冷却期間をおいて6月に再投票
となった。
このときスペイン、ベルギー、スロベニアから立候補者が出るという情報が流れ、外務省関係者はダークホース
登場かと緊張したが、いずれも泡沫候補と判明、ほっと胸をなでおろした。米国が必死でさがしたダークホース
ではなかったのだ。
日本は28年前に苦杯をなめているだけに、原子力平和利用の牙城を制覇したという点で感慨ひとしおなのである。
IAEA事務局長は創設以来、米国、スウェーデン(2代連続)、エジプトと続き、アジア出身者は初めてだが、この分類
はあまり意味はない。天野氏の支持基盤は欧米先進国で、アジア地域の支援で出馬したわけではないからだ。
むしろそれがアダになって得票が途上国に浸透しなかったわけだ。
核軍縮・核廃絶とは無関係
天野氏は「ヒロシマ・ナガサキの悲劇を経験した唯一の被爆国からきた」と自己紹介し、日本国民が核廃絶を悲願と
していることを強調したところから、一部にIAEAの努力で核廃絶が実現するのではないかと錯覚したメディアがあり、
当選を歓迎する広島・長崎の被爆者の談話をテレビ局が放映したり、新聞が掲載したりしたが、まさに日本人の“美しい
誤解”で、IAEAの役割・活動は核廃絶(核軍縮)とは無関係である。
天野氏の自己紹介や日本国民の悲願の強調は、「だから原子力平和利用が重要なのだ」と訴えているのだ。
IAEA憲章は、「全世界における平和、保健、繁栄のための原子力の貢献を促進し、増大するよう努力すること」を
IAEAの目的とし、「原子力が軍事目的に転用されないよう(査察を含む)保障措置(セーフガード)を適用すること」を
主たる任務と規定している。
わずかに憲章第3条B項に、「国連の目的と原則に従い、保障された(セーフガードの対象となっている)世界規模の
軍縮を促進する国連の政策、またその政策にもとづいて締結される国際協定に従って事業を行う」という記述があり、
そこに”軍縮“という言葉が1回登場するだけだ。要するに、「軍縮が進んだらそれに沿って査察をしっかりやれ」という
のだ。事務局長が個人的見解を表明するのは自由だが、IAEA自身が核軍縮を提唱したり、推進したりするわけではない。
接点があるとすれば、核不拡散への貢献であろう。IAEAとエルバラダイ事務局長が2005年にノーベル平和賞を受賞
したのも、そのためである。おりしもこの時、天野氏が理事会議長の任にあったため、今回の事務局長選挙の事前運動が
できた格好になった。ただし理事会議長といっても輪番制で就任するもので、担当大使としてたまたま日本に順番が
まわってきたにすぎない。
深まる先進国と途上国の溝
それにしても、天野氏な獲得票数は35の理事国のうち、何回投票をくり返しても23票以上にはならず、3月いらい
6回目の投票で、しかも第6日(7月2日)の3度目の信任投票でようやく当選にこぎつけた。最後に1カ国(投票は
無記名なので、どの国か不明だが、推測によるとブラジル)がそれまでの反対(対立候補ミンティ支持)から(日本代表
団の必死のアピールで)棄権にまわり、3分の2の当選ラインが24票から23票に下がったためだった。
まさに薄氷の勝利で、4日付の読売新聞は「議長から結果が発表された。議場は拍手もなく、静まり返った」という
ウィーン特派員電を掲載している。
この事実は、先進国と途上国の間には深刻な対立があり、天野新体制の前途多難を物語っている。すでに対立が
深刻化しているものに、核燃料の国際管理を具体化した「エルバラダイ構想」がある。これは、新規原発運転国が
自国内での濃縮・再処理を放棄するなら、IAEAが核燃料供給を保証するというもので、「核燃料バンク構想」とも
呼ばれている。
核拡散阻止には有効だが、一部の国に濃縮・再処理を認めながら、あらたに原子力発電に乗り出す国にはこれを
認めないのは「さらなる差別」として途上国にすこぶる評判が悪い。日本は「非核兵器国」でありながら、濃縮も再
処理も認められ、独自の核燃サイクル確立をめざしているが、たとえば隣国の韓国は20基もの原発を稼働させな
がら一切認められないのは不平等として抗議の声をあげている。
NPT(核不拡散条約)は、米ロ英仏中の5カ国を「核兵器国」として核保有を容認し、それ以外の国を十ぱひとから
げに「非核兵器国」として核物質を扱う全施設をIAEAの保障措置下におくことを義務づけており、そこにすでに「差
別」が存在している。NPT第4条は、「原子力平和利用は(加盟国の)奪い得ない権利」と規定しているにもかかわ
らず、平和利用のための濃縮・再処理の自由も奪うのはNPT違反だと途上国は主張する。
核燃料は、国外から調達するのが経済的にもはるかに安上がりで、技術的障害もなく便利なのだが、建前の段階
で立ち往生しているのが現状である。核燃料の国際管理は最大の懸案ではあるが、この問題が天野新体制下で
急進展するとは思われない。
北朝鮮・イラン問題でもIAEAの役割は補助的
北朝鮮は5月に2回目の核実験を強行、核抑止力の完成を急いでいる。1994年にIAEAから脱退。それでもNPTに
ととどまる限りIAEAの保障措置の適用を受け、査察も義務づけられているのだが、2003年1月、NPTからも脱退した。
あとは北京の「6者協議」の枠組みが残るだけだったが、核実験後の国連安保理の制裁決議案採択に抗議して、
「北京の協議には二度と参加しない」と宣言、完全に糸の切れたタコになってしまった。
IAEAは、「6者協議」の合意にもとづいて、寧辺の原子炉、再処理施設、核燃料製造工場などの「無能力化」作業
監視のために査察官を常駐させていたが、ことし4月に追放され、現在は手も足も出ない状態だ。
エルバラダイ事務局長は2007年ピョンヤンを訪問、寧辺の関連施設を視察して細部の取り決めを行ったが、拉致
問題をかかえる日本は対「北」単独制裁を実施し、日朝関係は最悪の状況にあるだけに、日本人の天野氏訪問を
ピョンヤン当局が容易に認めるとは思われない。(イランは天野当選を報じ、歓迎の談話を発表したが、北朝鮮の
メディアは一言も取り上げていない。)
それに、もし北朝鮮が朝鮮半島非核化をめぐって、今後交渉に応じたとしても、まず米朝協議復活、次いで6者
協議再開の順となり、そこで何らかの合意が成立した段階で、核施設の稼働停止などの監視のためにIAEA
査察官が呼び戻されることになるまで、IAEAの出番はない。天野氏が抱負を述べるのは自由だが、筆者は
悲観的である。
イランについてもIAEAの役割は限られる。国連安保理は過去3回、ウラン濃縮停止要請決議案を採択、常任
理事国5カ国(P5)+ドイツ=6カ国がイラン当局との間に断続的に交渉をつづけているが、テヘラン南東部の
ナタンツにおける未申告のウラン濃縮を止める気配はない。
独自の核開発では最高指導者ハメネイ師が承認、保守派も改革派も推進で一致しているが、6月の大統領
選挙で保守強硬派のアフマディネジャド大統領が再選された結果、安保理制裁も何のその、着々とアルミ
合金製の遠心分離器を増設している。
イランはNPTからは脱退しておらず、IAEAと「保障措置協定」を結び、定期査察を受け入れているが、ナタンツ
には査察を受け入れない。さらにテヘラン南西部のアラクにはプルトニウム生産が可能な重水炉も建設中である。
ともに秘密のヴェールに包まれている。エルバラダイ事務局長は「イランが核保有に至るとしても「5年ないし8年
後」と推定していたが、今後、濃縮のテンポ次第では広島型の核弾頭完成時期が早まるかもしれない。IAEA
事務局長の任期は4年なので、天野氏在任中に危機は到来する。その間、イスラエルがイラン空爆に踏み切る
可能性もある。
要するに、イランの核開発はイスラエルの秘密核保有(の容認)と密接に結びついており、中東全域の非核化
(非「大量破壊兵器」化)が実現しない限り、ハメネイ師以下のイラン指導者に核開発断念を迫るのは難しい。
何らかの形で譲歩を勝ち取れるとすれば、オバマ大統領が在任中、30年間途絶えているイランとの国交正常
化を実現することだ。その段階でイランが核計画の透明化に応じ、IAEAの査察を認める可能性がある。天野
事務局長の出番はその時やってくる。
このほか、IAEAが取り組んでいる課題に「核セキュリティー」(核テロ対策を主とした核物質防護)がある。
オバマ大統領は来年3月ワシントンに「核セキュリティー・サミット」を招集した。IAEAはいち早く事務局を改組
してこの日に備えてきた。国際的基準づくりと国際協力推進で
2009年7月23日
ラクイラ・サミットの成果と天野次期IAEA事務局長当選
「核兵器のない世界」に向けて
世界は核廃絶に向けて着実な一歩を進めた。ゴールは遠いが、人類が核戦争で滅亡する可能性を自ら減らす
努力をはじめたことに意義がある。
イタリア中部の地震被災地ラクイラで開催されたG8サミット(主要国首脳会議)は「核兵器のない世界に向けた
状況を作ることを約束する」とした首脳声明を発表し、CTBT(包括的核実験禁止条約)の早期発効、カットオフ
(兵器用核物質生産禁止)条約の早期締結などで努力することで合意した。来年3月、「核テロ対策サミット」の
ワシントン開催も決まった。
しかし、この合意には中国が参加していない。また北朝鮮の核実験を非難し、イランの核開発に懸念を表明した
ものの、両国の動きを阻止できる保証はない。オバマ政権は日韓両国防衛のために「核の傘」を含む拡大抑止を
保証している。同盟国を守るためには核兵器使用も辞さずという政策だ。矛盾ではあるが、そこにオバマの現実
主義がある。
ラクイラ合意は、オバマ大統領の4月のプラハ演説の延長上にある。プラハでオバマ氏は米大統領として初めて
「核兵器のない世界」実現に向けての努力を表明したが、実現までには少なくとも数十年を要するだろう。
核廃絶の実現には、既存の核兵器保有国の「核軍縮」と核保有国が増えないようにする「核不拡散」という二つ
の道筋がある。
前者は、米ロ両核大国の大幅核削減が不可欠だ。オバマ・メドヴェージェフ両大統領は、ラクイラ・サミットに先
立ってモスクワで首脳会談を開き、双方が戦略核弾頭を最大限1500個にまで減らすことで合意した。米ロが
1万個近い核弾頭を保有している現状からすれば大幅削減だが、英仏中という既存の他の核兵器国を核軍縮
交渉に引き込むにはまだ一ケタ多い。米ロの核削減は向こう10年間の宿題とされているから、英仏中が加わる
のは、そのあとになる。英仏中の3国の核弾頭はせいぜい500ないし600個と推定されている。
核不拡散をめぐる課題
次に「核不拡散」を担保する枠組みとしてはNPT(核拡散防止条約)が存在し、条約加盟の非核兵器国(日本を
含む185カ国が加盟)は、核物質を扱う全施設をIAEA(国際原子力機関)の「保障措置」(セーフガード)の下に
おかねばならない。「保障措置」というのは、「(IAEAが)平和利用を保証する」という意味で、新聞用語では
「核査察」と呼ばれているものだ。
日本は、青森県六ケ所村をはじめ非核兵器国としては世界最大の原子力関連施設を有する国で、20人以上
のIAEA査察官が常駐している。日本は「原子力基本法」ですべての核物質(ウラン、プルトニウム)を平和目的
にのみ利用することを誓約し、「非核三原則」(核兵器を持たず、造らず、持ち込ませず)を国是としているが、
それだけでは信用されないのが「国としての不徳」のいたすところで、IAEAに証明してもらっているわけだ。
ちなみに「非核三原則」の三番目は事実上守られておらず、核搭載の米艦船の寄港容認の日米密約が存在
していたことが最近あいついで日本側でも暴露されている。当然である。米軍がいちいち核弾頭を積み下ろして
日本の基地に寄港する筈がない。ライシャワー発言、ラロック証言などですでに米側からは公表されていた。
天野之弥氏、次期IAEA事務局長就任の意義/核廃絶とは無関係
そうした中で、今月(7月)初め、天野之弥大使がIAEA理事会選挙で、11月に退任するエルバラダイ事務局長
の後任に選出されたのは快挙だった。
国連機関のトップの座に常時、最低ひとりの日本人を確保すること、とくに原子力平和利用のシンボルである
IAEA事務局トップに日本人を据えることは外務省にとって30年来の悲願だったからだ。
国連機関のトップの座には現在、松浦晃一郎氏がパリに本部のあるユネスコ(国連教育科学文化機関)事務
局長の任にあるが、同氏も11月に退任する。その意味で、場所(IAEA事務局所在地はウィーン)は異なるが、
日本人が引きつづき一人居座ることになる。
もうひとつは、日本は一度IAEA事務局長のポストを狙って失敗しているからだ。原子力工学の専門家で米国
留学の経験もある今井隆吉氏が1981年の選挙に立候補し善戦したが当選に必要な3分の2を獲得できず、
ダークホースとしてスウェーデンから立候補したハンス・ブリクス(元外相)に勝利をさらわれ、苦杯をなめたのだ。
天野氏は「世界唯一の被爆国からきた」と自己紹介したが、語弊を招く表現だ。天野当選を祝したメディアの
報道に、「天野次期事務局長の下で核軍縮が進み、世界が核廃絶に向かうことを期待する」というのがあった
が、これは見当違いだ。IAEAと核軍縮・核廃絶は何の関係もないからだ。
IAEAの目的は「原子力平和利用の促進」であり、そのための「保障措置(査察)の適用」
が主たる事業である。1986年のチェルノブイリ事故いらい、「原発の安全」が加わり、
新しい部局も設けられたが、今日なお「保障措置が主たる事業」であることに変わりはない。
しいていえば「核不拡散を支えている縁の下の力持ち」というところである。
【『世界日報』2009年7月19日付「サンデービューポイント」】
オバマの”核ゼロ”演説に片思いの被爆地と日本政府
オバマ米大統領が4月5日プラハ(チェコ)で行った「核ゼロ」演説は、「世
界で初めて核兵器を使用した核保有国として、米国には道義的な責任がある」
と認め、「核兵器のない世界実現をめざす」とした点で画期的なものだったが、
日本国内の反応は両極端に分かれている。
いうまでもなく、被爆地、広島・長崎では市長、被爆者、反核団体が一体となって、冒頭に引用した部分を過大
評価し、オバマ大統領への期待を膨らませて、今秋にも予定されている同氏の訪日に際しては、ぜひ被爆地を
訪問するよう働きかけている。「世界核軍縮サミット」の現地開催にも意欲をもやしているという。
しかしオバマ大統領がプラハで開催を提唱したのは「(テロ対策などの)核セキュリティーに関するサミット」であっ
て、核廃絶をめざした「核軍縮サミット」ではない。秋葉広島市長はオバマ提案が世界の世論となることを期待して、
Obamajority (オバマジョリティー)などという合成語を作りだしてはしゃいでいたが、オバマ氏はプラハ演説で、
同時に「この地上に核兵器が存在する限り、米国は核を放棄しない。同盟国に対する拡大抑止(核の傘)は守る」
という趣旨の発言もしており、手放しで歓迎すべき内容ではない。全体としてほどよくバランスのとれた演説だったのだ。
被爆地の市民がムード先行の感情論で受け止めるのは仕方ないとして、問題は、日本政府がオバマ演説の現状
維持の側面から一歩も出ず、相変わらず日米同盟の「核の傘」にしがみつき、「唯一の被爆国」の“特権”を行使
していないことである。直後に中曽根外相が東京で「世界的核軍縮のための11の指標」と題する講演を行ったが、
ほとんどがオバマ提案をなぞった内容だった。せめて米国に対し核の「先制不使用」を訴えてほしかった。また、
朝鮮半島非核化のためには「北東アジア非核地帯」実現が不可欠だ。北朝鮮の目前の脅威が存在するにせよ、
お互いに長期的ビジョンを打ち出し、それを世界の世論に広げていくことが必要なのだ。
6月16日、衆議院、17日、参議院が核廃絶決議案を全会一致で採択したが、いずれも抽象論で新味がない。
「核軍縮・不拡散の取り組みと実効性ある査察体制の確立を積極的に進めるべきである」という文言があるが、
「実効性ある査察体制の確立」とは何か。北朝鮮やイランに対し「実効性がない」のは事実だが、それならどう
すればいいのか、何の説明もない。主権国家を構成単位とする国際社会において強制力ある査察など存在し
得ないのだ。国際緊張の除去と国家間の信頼関係の構築なくしては、何をするにも実効性を担保できない
事実を知っておいていただきたい。 【日本国際フォーラム・コラム「百花斉放」】
北朝鮮の映画の感想
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ある女学生の日記 |
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北朝鮮初カンヌ国際映画祭上映作を日本初公開
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「人は、誰しも、不幸を退け、幸福を追い求め、それを得ようともがいている。」
しかし、どれほどの人が真の幸福に生きているであろうか?
私たちはアフリカの飢餓、貧困に苦しむ人々を「かわいそうだ」と思い、世界の状況を知れば知るほど、「私たちは幸せだ、日本人に生まれよかった」と思い、ボランティアの真似をしては善人ぶっている。「われわれは本当に幸せであろうか?」それは砂上の楼閣ではないのか?まったく鼻持ちならない善人誇りの固まりではないのか?
昨日、吉田康彦先生の「2012年に向けて動くピョンヤン、ソウル、ワシントン」という先生が主催されるNPOフォーラムが午後2時から大学であった。
吉田先生からの熱心なお誘いがあったので、遅ればせながら参加した。フォーラムは予定の時間を1時間も過ぎても、熱心な討議が続いた。午後5時過ぎに先生の会議室でスタッフを含め4人で話した。
その折、先生は北朝鮮に文化支援をしていること、150冊の本を北鮮へ持っていったこと、北は日本文学の古典とか知恵蔵とは現代の基礎知識とかを求めているとのことなどをお話された。NHKの国際局報道部次長であった吉田先生がなぜ「北朝鮮、特に核廃絶に熱心なのか?」国連職員からIAEA(国際原子力機関)広報部長をされていた折、北の核問題と直面したことが契機だったとのこと。その後10数回北にも行かれて昨日のフォーラムは北朝鮮情勢に対する長年ジャーナリストとして鍛えられた取材に裏打ちされたものであった。
その後、「今晩これから北朝鮮の映画があるが見に行かないか?」と誘われた。場所は横浜の先と聞いて一瞬迷ったが、先生の日ごろのご活動に敬意を表して先生に随行することにした。
夜7:50分からの最終上映であった。「ある女学生の日記」という2007年製作されたこの映画は、昨年、朝鮮国内で公開され大きな反響を呼んだ。今年5月、北朝鮮としては初めてカンヌ映画祭に参加、フランスでは一般公開上映もされた。映画は、ある科学者の家庭を舞台に主人公の少女が家族の問題や友人関係で悩みながら精神的な成長を遂げていくという筋書き。スリョン(姉)という、大学進学を間近に控え、だけど自分の進むべき本当の道に悩んでいる1人の女の子がヒロインで、慎ましく温かい家庭に育ちながらも、父親は研究所の寮に暮らしながら、研究に没頭している。暖かい家庭の中にも父親のいない空虚感が次第にスリョンを押しつぶしていく。そんなとき、母親が癌であることが発覚する。それでも研究を優先させる父親に、スリョンは次第に嫌悪感を抱き始める。研究所員である父親がほとんど家に帰らないため彼女はそれがとても不満。そんな寂しさを時に家族にぶつけながら、少しずつ話が進んでゆくという、素朴な家族愛の物語、北鮮の地方の現代事情をありのままに見せながら、いかめしい顔の党の関係者とかが出てこない、家族の肖像を素直に描いただけの作品だった。
(映画評より:http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j0615-00001.htm
ほか)
北朝鮮は恐ろしい国、かわいそうな国との印象があったが、この映画を通じて体制やイデオロギーを超えて、人間の家族愛は同じ、かえってあり余るも物に囲まれ、幸せそうに暮らす日本人やアメリカ人よりも「北朝鮮の民の方が幸福度は高いのではないか?」とも思われた。
国のために生きる父親、それを必死でささえる妻、家族を顧みない父親に反抗する子供たち、母や祖母の愛を通じて素晴らしい父親の姿を見出す子供たち、どこかUCファミリーにも通じる感動的な映画である。一見天国から最も遠く思える北の方が、もっとも天国、天の真情に近いかもしれない。北は2012年を金日成生誕100年祭、「強盛大国の大門が開く年」として全力を挙げている。
「国際協力がどうの」とか、「ボランティアがどうの」とか、片意地を張ることではなく、一人一人が良心的に生きること、自分の内なる声に目覚めさえすれば良いのだ。
人間はおろかなもので、限界まで追い埋められないと悟れない。絶対、絶命の境地に「環境に不平を言いながら倒れるか?」まさに死を踏み越えたところにある世界、それが真の内的心情世界に目覚めるときであろう。
吉田先生は「年内に本が集まれば、来年春でも,また北朝鮮を訪問したい」とおっしゃっている。「先生,それくらいなら簡単に集まるかもしれません。」とつい口を滑らせると「それなら軌道修正して10月までに150冊、出来次第持って行く。」と言葉を弾ませていらっしゃった。
「やってあげる」という不遜な心を捨てて、人間として当然のことをやるまで、外的物的条件は幸福の要素からは2次的なもの、物があふれて幸福から遠ざかっているわれわれこそ、もっと哀れな人々かもしれない。家族愛、祖国愛に生きようとする心、それはかつての「皇国日本」の日本国民が経験した道だ。体制が誤り多大な犠牲を払い、国民を誤導した指導者等は断罪された。方向は誤ったとはいえ、家族を思い、国を思う忠孝の精神は天も世界も認めるところである。「貧しい国でも海外援助しようとしている。」心まで乞食になってはいけない。物は豊かでも、心は貧乏なのが先進諸国の共通事情である。
貧しくても豊かでも“他のために生きる”こと、“愛に生きる”こと、それこそ人間らしく生きることではないか、経済が経世済民の学というならば、「人間とは何か?」アダム・スミスの原点に立ち返って、利己的人間と利他的人間、楽観的な予定調和説に立った「自由人間」から「愛人間(ホモ・エイムス)」を定立し、新しい世界救済の経済学、「真の愛の経済学」を生み出すときであろう。
吉田先生の昨日の講義、参加者は元外交官、新聞社論説委員、新聞記者、フリージャーナリスト、朝鮮総連幹部などであった。小生も含め、みな忙しい(心が亡ぶ?)。小生は、吉田先生の熱意に引かれて、昨日はたまたま、ラッキーな経験をすることができた。
横浜から帰りの車中、吉田先生といろいろお話をした。今度9月16日、「国家・情報・戦略」第91回フォーラムの予定した元統幕議長が都合つかず、前航空支援集団司令官(三菱重工)がご発題されることになりました。
その方から送られた、9.16のレジメを吉田先生にお見せすると、「米軍のイラク侵攻は、国連の授権(国連安保理が決議を採択して承認すること)を得ておらず、“もうしばらく大量破壊兵器捜索作業をさせてくれ!”という国連機関(「イラク問題に関する国連監視検証査察委員会」UNMOVICとIAEA)の要請を無視して、何が何でもフセイン政権を倒しようと、ブッシュ政権が単独行動をとったことは大きな誤りであった。日本は国際貢献(国際平和協力)をしたのではなく、対米協力をしたに過ぎない。結果は米兵4500人が殺され、イラク国民推定100万人が殺傷された。自衛隊は「国際平和」には何の貢献もしていない。」と一刀両断。「日本の安全保障の国際協力をどう扱うべきか?」9.16のフォーラムの持ち方につき再検討を要する貴重な忠告をいただいた。
さる5月には2006年国際児童合唱団で金メダルを受賞した韓国アカデミー合唱団のお手伝いをした。韓国の主催者側はもちろん、児童の歌と心情は韓国を愛する日本の人々に多大な感銘を与えた。今度は北朝鮮。人間として、民間人として、真心、芸術・文化は国境を越える。
吉田先生の北朝鮮への文化的支援、日本の文学書150冊送るプロジェクトに対するご意見、ご支援したい方はご一報をください。J.O